一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

データ無し

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ウチのとは、ちがうなぁ。

 この悪癖、なんとかならぬものか。就寝予定時刻になると、表へ出たくなる。ここ数日の好天続きのせいだ。午前の陽射しが、まことに気持よろしい。

 すこしでも陽射しを浴びるよう心掛けぬと、ビタミンD が形成されない。 食物だけでは摂取できぬらしいビタミンD こそが免疫力の決め手で、もっとも有効かつ手軽なコロナ対策である、と以前ホームドクターから教わったことが、いちおうの理屈となっている。
 ふらりと出てみたくなるのは、どなたも一緒と見えて、ベーカリーは大行列。十五人くらいはいらっしゃりそうだ。

 不動産屋の前でタンポポに遇う。拙宅の連中とは別の種類だ。葉のギザギザの形が微妙に異なるし、花が大ぶりで長身だ。拙宅から徒歩わずか二分の距離だが、血縁関係はないようだ。途中ファミマの前を直覚に曲るから、穂が同じ風に乗る間柄ではないのだろう。

 神社まで足を延した。玄関番の黄トラの姿はない。縄張りの定時巡回中だろう。べつに挨拶を欠かしてはならぬほどの間柄でもないし。
 狛犬か蹲踞(つくばい)か、建物か樹木か、毎回一点だけを集中的に眺めることにしている。今日は大鳥居の前に駅ができた経緯を記した石碑を眺めた。

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 これまで何十回眺めたか数えきれぬが、まだそらんじてはいない。
 大正三年に駅を創らせて欲しいと、鉄道会社から打診があった。地元有力者のナニガシ氏カニガシ氏らが協議したが、時期尚早との判断で計画は頓挫した。
 のちに話が再燃。ダレソレ氏カレソレ氏らが中心となって地元の活性化につながると住民を説得。話をまとめた。町長だったナントカ氏が予定地四百十余坪の地主がたを回って、根回しよろしく、鉄道会社と交渉成立にいたった。竣工開設は大正十二年十二月一日。記念してこの石碑を刻む。大正十四年、というふうな内容だ。
 鉄道会社は武蔵野鉄道。西武に買収されるのは、まだずっと後年のことだ。

 神社とお隣の金剛院さまとはともに、駅から近い寺社として、東京でも全国でもトップいくつかにランクインするそうだ。
 神社仏閣にご興味ない新住民の若者のなかには、駅前に神社かよぉ、などとおっしゃる向きもある。順序がちがうぜ。
 大鳥居前、山門前の表参道のつい鼻先を、無粋な線路が横切るなどというバチ当りにたいして、地主さんがた旧住民がた、いったんは拒否したのである。が、一部の先見の明ある有力者が説得して回って、ようやく話をまとめたのだったろう。裏切者だの鉄道会社の手先だのと、罵られたかもしれない。

 加えて、石碑には刻まれていないけれども、竣工開設は関東大震災直後の時期である。住民の心には恐怖の記憶もなまなましい。しかし復興の歩みを始めねばならない。この機会に東京府は災い転じて福を目指して、大胆な都市整備計画を推進して新たな幹線道路計画も浮上している。時代は動く。どう動くかはだれにも判らない。
 そういうなかで、江戸時代初期、この地に村落が形成されて以来、一貫して地域の守り神・守り本尊であり続けてきた神社と寺は、舵を切ったのだったろう。
 石碑には、中心となった有力者なん名かと町長の名しか刻まれていないが、じっさいには数多の人びとが右往左往交錯するように動いたことだろう。どういう人たちだったのか、知りたい想いが湧く。

 帰り道の買物。まず玉葱。野菜類の値上りが顕著だ。しかしスーパーと比べれば、川口青果店は頑張っておられる。
 ダイソーで、延長コード、ブックカバー、包丁磨き用スポンジ。
 ビッグエーで、数の子のワサビ漬、納豆、乾燥ヒジキ、缶珈琲四缶。五十円(税込五十四円)の缶珈琲を冷蔵庫に常備するようになってから、自販機の百円珈琲を買う気がしなくなった。ベーカリーはきっと、まだ混んでいることだろうから、軽食用にシナモンロールと黒糖ロールを買い足す。

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 予想どおり、ベーカリーはまだ行列。帰り着けば、お見事、葉桜だ。
 どうやらまた、今朝も眠りそびれた。体重・寝起き体温・血圧と心拍数などの、データ無しの日となる。