一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

国語学

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みのひとつだに。

 久方ぶりに池袋まで出掛ける気になった。ロフトでポスター用の額縁(フレーム)を贖うつもりだ。

 過日、お若い友人がたに誘っていたゞいて、練馬区立美術館まで「香月泰男展」を観に行った(3/27日記)。記念に同展ポスターを一枚、買って帰った。現在休眠中のポスター額のひとつやふたつ、拙宅にあった憶えだし、ちょうどいゝやと軽い気持だった。
 ところがだ。帰宅して当て嵌めてみると、気に入らない。休んでいたのは、抽象的なモダンアートか芝居のポスターか、せいぜい古地図などであればドンピシャの、現代的なシルバーフレームだった。明るい系、お洒落系である。重さ・暗さを強調した迫力が狙いの香月泰男展ポスターとは、なんぼなんでも釣合わなかった。

 わずか徒歩七分の駅までの道のりではあっても、ふだんの買物とは別の路を歩きたい。と、ヤマブキが咲いていた。
 拙宅裏手の児童公園の植込みにも、以前はいく株かのヤマブキが咲き誇ったものだ。何年前からか、ほかの低木・下草類にとって代られた。私は今年初めて、ヤマブキの花を観た。

 古くからのお宅だが、どなたがお住いかは存じあげない。奥に平屋の和風家屋があるらしいが、通りに面したのは北側ということもあって、トタン板で囲われた物置が見えるだけだ。表玄関は、ぐるっと回った向うの私道の奥に開いておられるようなので、ご門前を通りすがることはない。
 こゝ五年十年の新住民や集合住宅のかたならともかく、お互い何十年もこの地に住んでいて、どんなかたがお暮しなのか、まったく存じあげぬというのも珍しい。
 ともあれ、藪然とした草木の姿から察するに、今ではご近所に珍しい、私と同じホットケ主義のおかたと見えて、なんだか好ましい。

 西武百貨店の一階エレベーターホールでは、例のごとく消毒だ定員だ並びかただと、係員さんから丁寧過ぎるご案内をいたゞくのがうるさいので、エスカレーターまで歩を延して、十二階まで揚る。
 毎回感じるのだが、よくもまあ寸胴のビルのなかで、フロアごとにこれほど色合いが異なるものだと、感嘆する。インテリア・デザインというのはすごい技術なのだ。今さら気づいたところで、これから修業するわけにもまいらぬが。

 気に入ったものは一応あった。結局は漆黒。

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 すぐさま帰宅の途につきたかったが、いかんいかん、老け込むもとだ。
 以前なら、ジュンク堂三省堂も覗いたじゃないか。お世話になっている古書往来座さんへも、かならず顔出ししたじゃないか。それにちょっと観てみたい本も、その印象によっては買ってみてもよさそうな本も、あったはずじゃないか。
 ところが時刻は正午過ぎといっても、私には起抜けの朝飯前だ。くたびれる。とりあえずは向う岸へ渡ってみるか。駅東口前からLABI1(ヤマダ電機=旧三越跡地)のある向う岸へは、中洲をはさんで信号を二度渡る。中洲には喫煙所がある。疫病の警戒警報期間は閉鎖されていたが、どうなっているだろうか。

 喫煙所は開いていて混んでいた。一服してみるか。額縁の荷は置場に困るし、人さまのご迷惑か。でもなんとかなろうか。
 私はヤレヤレと、弛んだ顔で煙草を吸っていると、自分では思っている。しかし若い人もご婦人も多いのに、無表情のかたや、それどころかなにやら沈んだ面持ちのかたばかりだ。
 禁煙したいのにやめられぬかたもあるのだろうか。それとも私同様、禁煙する気なんぞ、はなからぜーんぜんない人ばかりなのだろうか。

 空腹もかなり明瞭。タカセコーヒーサロンでパンと珈琲という常用コース。昼食時過ぎということか、選択肢は少ない。「少~し辛いカレーパン」「ベーコンチーズ」をチョイスして、温めてもらう。二階へ。
 食べるまえにデジカメか、と一瞬思ったものの、やめた。昼下りのこととて、いかにもお喋り好きといった奥さん盛りの集団が賑やかだ。わざわざ変な老人を演じてみるにも及ぶまい。十分変だろうし。
 

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 手洗いに立ち、独りでニンマリした。
 「一歩前」を「二歩前」とイタズラ書きした奴がある。それに加筆して「半歩前」とした奴がある。それらを懸命に消去しようとした店の従業員がある。
 若い時分は、便器に接近する必要など感じなかった。勢いも切れも、申し分なかった。何歳ころからだったろうか。一歩前進を心掛けないと、粗相してしまうようになったのは。自覚いまだしの過渡期には、ペイパーのご厄介になったことも、ずいぶんあった。

 ところで、整列していて「一歩前へっ」と号令が掛れば、左っ右っと二拍子で、重心ごとそっくり歩幅ぶんだけ前へ移動することだろう。両足基準だ。ゴールテープまであと一歩と云う場合は、片足基準な気がする。
 「半歩前へっ」と云われたら、二拍子で両足ともを、歩幅の半分ほど前進させることだろう。「彼は逆境から半歩脱け出した」と云えばまだ一拍子、歩幅は一歩分だがまだ片足だけしか脱け出していない、ということにならないか。

 つまりこうだ。「一歩前」の指示にたいして一人目のイタズラ書き野郎は、二拍子性に着目して「片足だけ出したって駄目よ、両足出さなきゃ」で「二歩」とした。二人目の野郎は一歩とは二拍子だと前提にしたうえで、むしろ歩幅に着目して「そんな大袈裟なぁ、歩幅の半分かそれ以下でいゝんだょ」で「半歩」とした。
 池袋タカセコーヒーサロンの男子トイレでは、国語学にまつわるちょいとした論争が繰り広げられていたことになる。