一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ダンシャリリ

 久びさに行動規制のない黄金週間。観光地にはよみがえりのきざしが見えるのだろうか。交通機関の乗車率は高まっているのだろうか。盛り場に人出は戻っているのだろうか。
 かと申して、先陣切って飛出すがらでもない。

 雨もよいの肌寒さ。三月中旬並みとのこと。草むしりにも適さない。
 それに昨日は Youtube 収録日。例月のごとく、ディレクター氏を終電まぎわまでお引留めしてしまった。余談・雑談満載。愉しくはあるが、ご迷惑でもある。仕上り一時間強(15~20分を四本録り)を収録するのに、休憩を挟んでなんと七時間。
 今日あたりは、明るいうちからちびりちびり始めて、日ごろの生活不規則を修正すべくガッチリ寝てしまうのが、知恵というものか。

 と思いかけて、身辺・室内を視回せば、あい変らずの乱雑ゴミ屋敷状態。いや「ますますの」と訂正。こんな機会に、整理整頓をいさゝかなりとも。
 しかし小さなものが動いても、巨きなものが動かない。もし巨きなものが動く日が来たら、いったん収めたちいさなものも、また動かねばならない。手順をいかにするか。

 階上のスペースを広げたい。洗濯場や物干しを空けたい。騙しだまし使ってきた老朽洗濯機が、先年ついに寿命尽きた。それを出したい。が、拙宅の階段は、巨きなものが通れる風景とは、なっておらない。まず階段を、物が通せる姿にしなくては。
 これが至難の技で、小型の書棚もあれば、当面使わぬ什器も収まっている。米びつや麺類などの食糧収納箱も、台所から溢れ出してこゝへ一時避難してきている。

 その難所に到達するまでの手前階段にも、問題がある。さっさと書庫へと戻さねばならなかった書籍類・資料類などが、ついつい積上げられてある。近ぢかふたたび使うから、ほんのしばらく眼に着くところに置いておこうと、いずれかのときに判断されたものたちだ。
 もし明日も使うことがあれば、ふたたび書庫から出そうと、労をいとわず返却しておけば、こうはならなかった。つまりは一人暮しのワガママ、ものぐさの所産である。
 一人暮しゆえの技もあって、それでもなんとか暮せてしまうから、なおいけない。

 拙宅階段を平気で昇り降りするのは、初心者には少々骨が折れるかもしれない。ちょいとしたコツが要る。
 初めにこゝへ左足を置く。で、右足をそこへ出す。だからそっちへ左足が出せる。
 逆足だと、歩けない。もしくは積んである山を崩す。すると山の順序や関連性を失う。積みあがったさいの必然性の脈絡が断ち切られ、再度探し出そうとしたときに、たいそうな手間となる。

 そうだ。今年の黄金週間のテーマは、「階段を広くしよう!」にしよう!
 じつはそれだけではなく、寿命洗濯機を動かせぬ事情はまだあるのだが、少なくとも百里の道の第一歩として。
 世の賢きかたがたは、着々断捨離なさると聴き及ぶが、わがほうは日々ますます断捨離から遠ざかる。これを断捨離々と云う。