一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

再生力

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 今日も、ビタミンD 形成のための日光浴散歩、と思ったのだったが、玄関出しなにいきなり驚かされた。なににって、ネズミモチである。

 怪しげな素人剪定をしたのは、一昨日のことだ。当方の生活不規則問題があるから、正確に申せば、丸二日と半分である。伐り落した枝先の脇芽から、もう新葉を出している。
 もともと芽を出したかったのに、先住権ある枝から邪魔されていたところ、爺さんがちょうどうまいタイミングで枝刈りしてくれて好都合だったと、云わんばかりだ。
 その再生力の凄まじさを眼にして、すなおに驚嘆し敬服すべきなのだろう。それが人間としてあるべき感性というものなのだろう。が、人間として完成度の低い段階にある私には、ごく微量ながら、うとましい気も起きる。新芽幼葉に向って、ちょいとスゴんでみる気にもなる。
 「お前とも、長い闘いになるぜ。いつか決着をつけなきゃならんかもな」

 おゝそうだったと思い出して、机へとって返し、親方に電話。
「おかげさまで、今年も無事に咲き了えました。今はきれいな葉桜です。例によりまして……」
 「へいへい、承知しました」
 親方はこちらに皆まで云わせなかった。

 来年の花芽が着く加減があるから、手入れ・枝詰めに適した時期というものは、あることはある。が、私はこだわってこなかった。梅雨ころにお願いした年もあったし、ぐずぐずしているうちに熱暑の時期を迎えてしまい、それを避けようと秋の声を聴くようになってから、ようやくお願いした年もあった。
 早めにひと声お掛け申しておいて、時期も含めて、親方に一任してしまうのがよろしかろう。
 「今とりかゝっているのが、あと二日ほどですから、その次にでも。お邪魔する前日にでも、こちらからご一報入れますので」
 えっ、そんなにスグ! と一瞬思ったが、お任せする気である以上、いやもおうもない。
 かなりの老樹だ。葉が目一杯に繁茂するより前のほうが、樹も疲れないかもしれない。

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 思い出してよかったよかった。改めて靴を履く。
 拙宅と背中合せの児童公園には、八重桜の樹が一株ある。拙宅の吉野よりは若いが、もう長らくこゝに居る。一重が済めば、八重の季節だ。毎年なかなか見事な咲きっぷりで、樹形も佳く観映えがするので、楽しみにしているご近所のかたも多い。
 まだ五分というところで、梢近くは寂しいが、下枝に着いた花は見事なもので、今年も期待できそうだ。

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 児童公園から道をはさんだ筋向うは、わがメインバンクたる巣鴨信用金庫。道路に面したガラス窓(ショウウィンドウとは云わんのだろうなぁ)には、PRをかねた地元サービスとして、季節ごとに小さな催しが展示される。
 今は、取引きある顧客のうち、ご商売をなさっておられるかたがたのお店が紹介されてある。各店自作らしい手造りポップに、担当行員によるコメント吹きだしが添えられたりして、図工テイスト満載だ。ポップにはクレヨン画あり、水彩画あり、写真構成あり、なかにはカラーマーカーを使用して素人風を演出してあるが美術修業経験者と目されるものも混じる。
 「小売り」「飲食」「サービス」に三分類され、色分けされたシールで白地図上に所在地が示されている。就業時間後に居残った女性行員さんがたが(いや、男性でもよろしいが)、ワイワイおっしゃりながら課外活動されたのかと想像すると、微笑ましい。
 昨日、散歩の帰り道に玉葱を買わせてもらった、わが行きつけの八百屋さんのポップもあった。

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 この道は、もとは谷端川だった。あたりに木造家屋はあったものの、畑や原っぱや雑木林も多かった。のどかな地域だったから、その昔は世に出る前の若き芸術家たちが身を寄せ合うように棲みつき、アトリエ村の俗称も残った。
 先の東京オリンピックに向けて、東京あちこち大改造のころ、暗渠にして巨大地下水道にしたため、近隣でもっとも幅の広い道となった。上水道、電話、消火栓など、さまざまな設備が通っているところから、この道にはマンホールが多く、地中設備を表示する標識も多い。
 今日はなにに重点を置いて眺めて歩こうと、心決めして散歩する癖があって、マンホールのフタばかりを眺め歩く日もあったりする。

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 今日は違う。フラワー公園には枝ぶり見事なケヤキがいく株かあって、中でもっとも巨きい一本が、その昔に芯を止められた形跡があまりに地表近くにあるのを、たしかめたい気分になっていた。

 おそらくはすでに相当の成樹となっていた樹が、まっすぐ天に向って枝を伸ばしていたものと推測される。用途には巨き過ぎたのだったろう。地表から約五メートル。この樹にしてはほんの根元近くだ。そこでぶつんと芯を止められた。
 それでもケヤキは脇芽を噴き、枝を伸ばしていった。さらに年月が経ち、どの枝も幹の延長といえるほどの貫禄を備えるまでになっていった。今ではこの公園に立つ同類のうち最大の樹である。
 サイズも樹形も立派なケヤキではあるが、人間の眼に着きやすいのは、いかにものびのびと枝を張った上半身部分でしかない。地表五メートルまでの足腰と地下部分とは、この樹の数奇な、もしかしたら幸福ではなかったかもしれぬ前半生を、きっと憶えている。