一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

言いわけ

 これは俺なんぞが食うもんじゃねえな、が第一印象だった。今は定番一品に数えられる準レギュラーだ。現金なもんである。

 ツナマヨという料理が、いつ頃から世に出回ったのかは知らない。視るからに私の興味を惹かぬ食品だ。大根おろしに合せても、醤油をかけただけでも美味しく食べられる缶詰ツナに、選りにもよってマヨネーズなんて悪ふざけにもほどがある、くらいに感じていたふしがある。
 初めて口にしたのは、世に出現してずいぶん経ってからだったろう。

 西東京市武蔵野大学で十年少々、週に一日働いた。西武池袋線の「ひばりが丘」から武蔵境行きのバスで通勤した。早めに拙宅を出て、ひばりが丘駅前のドトール珈琲店で一服して、その日のネタについてあれこれ考えたりして過した。
 昼食または間食用に、駅ビル内のセブンイレブンで、おにぎりかサンドイッチを買込んでから、バスに乗った。
 売行きが良過ぎた日だったものか、選択肢の乏しい日があって、生れて初めてツナマヨなるものを、手に取ったのだった。

 三角形のミックスサンドイッチに、ハム・ポテサラ・ツナマヨと三種類の具が詰め合せられていた。捨てたもんじゃねえや、なかなか美味いじゃねえか、と思った。
 別の日、ツナマヨおにぎりも、買ってみた。脂分が飯に染みた感じが、どうにもいたゞけなかった。
 目黒の秋刀魚ということもある。ツナマヨサンドはセブンイレブンに限る。おにぎりはイケナイ。ツナマヨはサンドイッチに限る、という偏見が少しづつ形成されていった。
 それでもまだ、自宅で食べようとまで思うには至らなかった。ポテトサラダもさようだが、玄人さんが作るものにはそれぞれの研究工夫があって、素人が真似したところで、同じ程度に美味いものなんぞ、できようはずもないのである。下手に工夫を試みれば、ゴテゴテとしつこいものができあがってしまう。

 考えが変ったのは、地元のサミットストアで、ノンオイル・カロリーハーフのツナ缶を発見してからである。ツナ缶単品としてはやゝパサつくというか、味も口当りもあっさりし過ぎて少々頼りない。塩加減だけが取り柄といった味である。サラダ用もしくは他の料理の素材用だろうか。
 さらにもう一品、カロリーハーフのマヨネーズというものが眼に入った。ハーフとハーフ、合せて一人前。これならば脂っこくならずに、私でも食べられるかもしれない。

 自炊料理はすべからく単純明快をよしとする。缶から出したツナに、擦り胡麻を振りかけて、気分によってはチューブの練りワサビを小豆ひと粒大ほど。それにマヨネーズを乗せるだけである。混ぜ合せながら食べる。
 むろんセブンイレブンのサンドイッチのツナマヨとは比べものにならない。粗末な味だ。が、私の味覚にはけっこう合致する。で、常用一品の仲間入りした。

 使い切りサイズというのか、一人前なのか、小さなツナ缶が四缶パックで売られている。ひと缶開けると、径五センチほどの小鉢に三分の一取って、あとはマッチ箱ふたつ分くらいの小型タッパウェアに収めて冷蔵庫行き。つまり一人前小分け缶をさらに三回に等分して使う。食するときには、ふた箸といった分量だろうか。
 少量多品目を原則とする老人食には、それで十分な一品である。

 いかに老人食とはいえ、野菜ばかり食っているじゃないか。動物性も少しは摂らなくっちゃと、脅迫めいた言葉が思い浮ぶこともある。
 とんでもない。玉子を焼くとき、ウィンナを一本、添えているよ。ツナマヨをふた箸、摂っているよ。肉も魚も、あるじゃないか。
 目下の、言いわけである。