一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

反文明


 花に恨みはありません。でも、あと一週間以内の命です。しかたないのですよ、ユキノシタ君。

 いく度も書いたことだが、拙宅に庭などはない。門の代りの木戸、と申しても正しくは合金と軽金属により加工された扉だが、その木戸口から玄関扉まで、幅も奥行もわずか数メートルの地面がある。飛び石が埋っていたり、割れた植木鉢が放置されてあったり、かつては植木棚だった材木が朽ちかけたまゝ、もとはなんだったのか思い描きにくい残骸となって塀際に寄せられてあったりする。
 あとは塀にそって建物の裏手へと回る、幅二メートルほどの通路がある。

 日常的に観察できる植物や、昆虫や蜘蛛などの節足動物や、環形動物や微生物などの地中生物類は、すべからくこのごく狭い領域内にて生命活動を営んでいる。いつ頃からかは、個々の来歴に相違があるが、長いものならおよそ六十年の付合いということになろう。
 当方は一個体の少年期から老年期に相当するが、植物・小動物たちにとっては、遠い祖先からの付合いということになろうか。
 消長も栄枯盛衰も、思い出し語り始めたら切りがなく、姿を消していったものを書き出すだけでも骨が折れる。

 毎年顔を見せる相手には、愛着も芽生える。季節が巡り来て、例年同様の姿を見せれば、挨拶のひとつもしたくなる。先方だって、そうかもしれない。
 ましてや姿や性質が可憐だったり、質素に美麗な花を咲かせたりする種類に対しては、気持が動く。先方にとっては、種族存続のための広告塔であり生殖器であり、いわば命がけの武器であるとは承知していても、である。

 だが情にほだされて、甘い顔ばかりもしていられない。手抜き放置すれば、後のち手ひどい厄介を背負いこむことになる。陽気のよろしい日で、こちらの体調・気分が整った日には、わずかづつでも草むしりを継続しなければならない。
 植物たちと昆虫たちと地中生物たち、それに植物に巣食う病害虫どもまでをも含めて、押寄せる無数の生命たちとの戦は、当方の年々着実なる老化によって、年追うごとに苦戦となってきている。

 始末に負えなくなったこの現実にどう対処するか。植木職の親方との雑談のなかで相談してみた。
 「まったくねぇ、仕方ないもんですよねぇ」
 私よりいくつかお齢上でいらっしゃる親方は、笑顔で言葉を濁された。対処法をご存じないはずはない。〈けれど、そんなことおやめなさい。お奨めしません〉という意味だ。長年の付合いだもの、解る。

 ある年のこと、長らく放置もしくは素人手入れのまゝに先延ばしにしてきたため、手に余る仕儀となってしまったサワラ系の樹を、いよいよどうでも伐り倒さねばならぬ事態が生じた。親方にお願いする仕事でもないので、別の筋で存じよりの若き植木職人(たぶん四十歳前後)栃尾君に話を持ち掛けたところ、機嫌よく取りかゝってくれた。
 丈十メートル以上にもなって、あたりの鳥たちにとってハブ樹木となっていた一本を倒すのが主目的だったが、これだけなら一日仕事ですらないとのこと。それじゃあついでにとの運びになって、これも懸案の、丈四メートルほどに育っていたネズミモチ三株をも伐ってもらった。

 そのさい栃尾君にそれとなく相談してみた。春になると、草どもが元気良すぎて、草むしりが追いつかねぇんだけど。
 「なんてことないです。方法はいくらでもありますよ。すぐにやりましょうか?」
 「ちょっ、ちょっと考えさせてくんねぇか」
 その一は、ネットを敷き被せて地表全面を覆ってしまう方法。寒冷紗に似たものだろうか。陽光や空気接触を制限してしまう方法のようだ。
 その二は、除草剤を撒いて、無差別に枯らしてしまう方法だという。いったん除草剤で枯らしてから、ネットを被せれば完璧だという。

 玄関扉を開けると、ドクダミタンポポヤブガラシも見えぬ代りに、一面黒ネット敷き。なにも今から、ゴルフ場を創ろうってんじゃねえんだ。大袈裟に過ぎようが。
 また全面の除草剤撒布。たしかに草たちの生命力を制限することはできるかもしれないが、昆虫類や地中小動物や微生物たちにとっては、突如として原子爆弾の惨禍に見舞われたような、一族郎党皆殺しの様相となるのだろう。どうにも気が進まない。

 ところで、東京都の防災都市計画とやらで、火災にも地震にも強い街並を造るために、拙宅前の道路幅を倍以上に広げたいのだとか。ついてはこの土地を買上げるとのご方針だ。ご近所にも、だいぶ緑色の金網で囲われた空地が目立つようになってきている。
 つい先月も、お上の手先となって、もとい手足となってご活動の○○公社を名乗るかたがたが、「ご挨拶」と称してご来宅された。

 お上のお仕事に異を唱えたり、叛旗を翻す気など毛頭ない。かといって自ら進んで、もろ手を挙げて率先協力申しあげるつもりは、なおさらない。
 どうせ召上げられる土地だから、あとは野となれ、いかに荒れ放題となってもかまわぬなどとは、夢ゆめ思わない。けれども、草一本視当らぬ不動産カタログのような土地にして奉納献上する気にもなれない。
 土地の売渡し日が、桜や花梨や万両や、タンポポオダマキドクダミや、ダンゴムシやミミズや地中生物たちとの、関係を清算する日である。

 黒ネットや除草剤は、もっとも賢明かつ合理的で、云うなれば文明的な処理なのだろう。ならば私は、反文明的でけっこうだ。
 あゝ間に合わない、手が回らない、追いつかないとぼやきながら、つい昨日まで人間が住んでいた。そういう土地を、人手に渡したいのである。