一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

祭礼第二日


 晴れた。二日とも晴れた。正確には、初日の深夜に降った。露払いとなって、以後の雨をすべて持去ってくれたのだろう。二日とも、暑からず寒からず。佳き年だ。

 じたばたせずに、おとなしく在宅の一日とする。下手に騒いで、空模様を危うくしては、元も子もない。

 神輿は出た。せめてこれだけはといった出かただ。
 呼びものでありフィナーレでもある、各町内の神輿が集結して、競いながら行列しての宮入りはない。そも巡行そのものが禁止されているのだろう。
 飾り神輿展示場の前の往来をほんの一区画、あちらの十字路からこちらの十字路まで、いく度も往復する。交通を一時制限して道路横断するについての、警察との話合いがついてないのだろう。つまり原則的に神輿巡行は禁止なのに、道路横断しないとの条件つきで、一区画だけ目こぼしに与ったのだろう。
 事情はまったく耳にしていないが、関係諸氏による事前交渉のお骨折りあって、せめてこれだけでもと実現されたにちがいない。住民から視れば、これだけでも大手柄だ。

 男衆で立上げる。先棒を抑える先達たちに、わずかに私でも顔馴染の年寄りが混じっている。年に一度、若返る面々だ。ホイッスルや拍子木でリズムを刻む連中にも、気合いが入る。沿道からの手拍子が合される。

いゝんだ、いゝんだ。今は届かなくったって。

 次つぎ肩替りして、女衆も入る。若者も初心者も入る。女性の担ぎ手の割合いが増えたのも、近年の特色だ。
 限られた区画の往復巡行だ。予想外の事態が発生する危険も少ないと看做されたのだろう。子ども神輿で味を占めた次世代も、入ろうとする。どこかでご覧の親御さんがたは、ハラハラしながらも眼を細めておられることだろう。あるいはすぐ近くにママもいるのだろうか。
 今はまだ棒に届かなくったって、そんなことどうでもよろしい。神輿には神さまが乗っている。その下に潜りこんで、騒いでみたことが大事だ。担げるようになんて、すぐになるから。

 夜九時まで、神社の境内は開いている。露店が一軒もない年だからこそ、落着いてゆっくりお詣りできる。さよう考えるご家族づれなどが、静かに行列している。

 今年の祭も了った。