一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

落日の光景

外村 繁(1902 - 61)

 富士と河口湖を望む天下茶屋の二階展示室で、ふいに外村繁を思い出した。当店を訪れた文士たちのスナップ写真のなかに、井伏鱒二を取囲む面々といった一枚があって、外村繁らしい姿が半身だけ写っていたからである。

 現今の読書界の流行は知らない。近代日本文学研究の学会動向はもっと知らない。想像するに、外村繁を愛読する人も、研究する人も、めったにあるまい。が、忘れてよろしい作家ではない。忘れたくない作家の一人である。
 出版事情を検索してみると、『澪標(みおつくし)』『落日の光景』が併録された文庫本が、わずかに活きているようだ。後期の代表作で、病妻もの私小説である。再婚の妻が乳がんを患って闘病生活。看病する小説家もかつてがん手術を受けて、今は予後を診ている日々といった噺だ。
 それより前の「筏」三部作は、古書店アイテムと化し果てたのか。

 『澪標』はかつてテレビドラマ化された。加藤嘉轟夕起子の夫婦で、息子の一人が高橋悦史だった。
 地味な作風で暮しもつましい小説家が妻に先立たれた。複数の子があるが、それぞれ別居独立していて、今は再婚した妻と二人暮しだ。妻は明るく勝気な気性で、先妻の子らをも可愛がり、がん患者となっても家族間の柱的存在だ。乳がん摘出手術は成功したものの、発見が遅かったため転移があって病勢は進む。看病していた夫も、転移再発する。
 ―― お父さん、私たち、がん夫婦ですね。
 波状的に襲い来る激痛のなかでも、妻は明るく夫を笑わせる。

 放送は私が高校一年生のころだが、今も記憶する場面がふたつある。妻の手術に必要な金の工面に、夫がたいへんに苦労する。病床の妻は察して、よくお金ありましたね、と訊ねる。夫は嘘をつく。
 ―― なぁに、昔の本が今でもぽつぽつ売れるらしくてね、少しばかり印税が入った。
 へーぇ、真面目な小説家って貧乏なものなんだと、私は思った。
 もう一つの場面は、最終回で夫も亡くなるのだが、顔に白布を掛けられた父の枕辺に集った子どもたちが、お父さんが一番好きだった唄だったといって、呟くように合唱する。
 ♬ くれない萌ゆる丘の花 さみどり匂う岸の色
 旧制第三高等学校の寮歌だ。この場面の印象が強烈で、以後亡くなられるまでずっと、高橋悦史さんという役者が好きだった。ダークダックスが唄う「旧制高校寮歌集」なるレコードも買った。

 文学全集における外村繁は、二人または三人で一巻といった扱われかたで、ごくごく代表作しか読めない。代表作を漏れなく読もうとすれば個人全集が必要となる。最終第六巻末には、浅見淵による行届いた長い解説も付いている。

 病妻看病ものであり、みずからの闘病ものでもある晩年の諸篇は、題材を聴けば悲しく惨めで、重く暗い小説かと早合点されそうだが、さにあらず。飄々としたユーモアに貫かれた、軽妙な作品がほとんどだ。
 『落日の光景』末尾で主人公が、自身の通院と妻の見舞いとを了えて病院を出ようとして、末期がん患者の病棟を通り抜ける場面がある。西陽を受けて黒影シルエットとなった患者たちの姿は、だれもが鼻や喉や胸や腹に管が差しこまれていて、看護師たちが管から注射液を注入している。自力で食事摂取できぬ患者たちの食事時間だ。
 酒飲みではあるが肝臓だけは今も丈夫な主人公は、あれは好いなと思わずニンマリする。動けなくなったら、あのようにして酒を入れてもらえば、飲む手間がはぶける。

 落日の光景と聴けばだれしも、人生末期の厳粛な場面を想像する。が、こゝでの落日とは、逃げられぬ病身である自分を、かろうじて愉しませる方便を発見させてくれた落日なのである。
 高校生時分とはちがって、外村繁が描き出した闘病者や看病者の心理のほとんどについて、そうだそうだと思い当る齢に、私もなったということのようだ。