いく度も書いたが、独居自炊暮しとなってから、一日二食生活を続けている。
食事に要する時間を節約したいという、バチ当りな理由もあるにはあった。が、それは付足しで、本意は食生活の充実だ。
そのおかげかどうか、入院療養を余儀なくされて手術を受け、回復待ち兼リハビリ期間のある日、執刀ドクターから云われた。
「退院したらね、血圧の薬、減らしてもいゝんじゃないかな。内科と相談してごらん」
ほぉ、だいぶ下りましたかと、気を好くしたことは申すまでもない。
「いや、低いとは申しません。たゞ安定している。おそらく生活状況、ことに食生活でしょうね」
とのことだった。なぁんだと思ったものの、わが意を得た思いでもあった。
一日一食は、チャント飯と称して、自分なりに気を配った老人用和食だ。
主食は原則として粥飯。昆布・若布・生姜を少量ずつ加える。トッピングにすり胡麻・青海苔・シソふりかけ。
野菜中心。根菜・葉菜欠かさず。生野菜より温野菜。日に納豆ひとパックと玉子一個は欠かさず。かといって肉・魚の動物性も少々は必ず。酢を用いた献立を毎食。よろづ少量多品目にて。などなど、どなたもが考える、庶民的心得にすぎないが。
必然的に、煮物・炊き合せ・酢の物・和え物などが多くなった。野菜を豊富かつ多彩に摂れるし、ものによっては保存が利くから、ひと鍋こしらえて数日間食べることも可能だ。微調整の何年かを経て、自分なりに季節ごとのベース献立も形成された。
あと一食は、テキトー飯と称して、腹具合や気分との相談で、なるべく手早く済ませる。麺類・パン食・餅・買い食い、なんでも有りだ。とにかく時間節約。とうてい献立と称べるものではなく、満足な食事とも申せまい。そこで一日二食と申すもおこがましく、正しくは一日一食半である。
ところがこゝに、厄介な問題がひとつある。部屋の片づけだ草むしりだと家事に精を出しすぎた日や、用件あって池袋まで出たり、人さまとお眼にかゝったりした日には、空腹を抱える仕儀となる。
またそれとは逆に、引籠り暮しをよいことに、パソコン前に断続ながらつごう十時間も腰掛けている日には、つい口寂しくなって、駄菓子を口に放り込んだりする。粒チョコレートだったりココナツサブレだったり、ベビーカステラだったり小分け羊かんだったりする。われに返って計算してみると、きちんと食事を摂ったほうが健康的なのは明瞭だ。
となると、回数をもう一食増やすということになるのではないか。これがどうにも釈然としない。
あれこれ試みて、判明したことがある。どうやらもう一食が必要なのではない。躰がそれほどの栄養分またはカロリー量を欲しているわけではない。心理的な問題だ。気分をなだめさえすれば、躰は意を達すると見える。少量の補給で、空腹感は解消するのである。そうとは知らず、駄菓子をつまみすぎてみたり、していたのである。
かように判明して、さて、いろいろ試みてみた。コーンスープをはじめとするポタージュ類。有効だ。日になん杯も飲む珈琲・紅茶の一回を即席汁粉に。有効だ。
なぁんだ、みんなみんな飲料のような顔して、空腹感解消に絶大な力を発揮する食糧じゃないか。ということは、これも食事のうちだ。一食半という「半食」のそのまた半分、四半食じゃないか。つまりは毎日、一と四分の三食じゃないか。
この試みをとおして登場した、意外なニュースターがある。生味噌スタイルの即席シジミ汁である。
粥食にしてから、食事に味噌汁も吸物も添えなくなっていた。水分補給の必要性が減ったし、多品目を目指すからには、どこかで塩分を控える課題もあったからだ。若布も油揚げも、ネギ類も大根や茄子も、味噌汁を手放したところで、ほかでいくらでも使える。発酵食品、兼免疫力増強食品としての味噌と考えるのであれば、酢味噌和え(ぬた)は常用レパートリーに入っている。
しかし心残りがあった。シジミ・アサリといった貝類である。生を買って、椀物以外の調理をするとなると、熱をとおして茹で汁を出汁になどということになって、本格的な和食料理の物真似をするみたいになる。ちと面倒だ。
で、貝類だけは、泣く泣くわが常用食材圏外に置かれていたのだった。ふと思い至って、外装に明示された成分表を視ると、人工の合成味だけでなく、貝成分もしっかり入っている。試してみた。これも四半食として、合格だ。
会社員だったころ、職場の先輩に貝嫌いの人があった。定食屋をご一緒して、いざ膳が運ばれてきて、箸を椀に一差し。カラリと音がすると、嫌ぁな顔をされて、椀を私のほうへずらしてこられた。私は味噌汁二杯にありついた。
子ども時分に肝臓の持病があって、これでもかとばかり毎食のシジミ汁で治したらしい。長じてのちは、シジミのみならず、いっさいの貝類をまったく受付けられなくなったという。
学生時分にも、似た噺をしてくれた学友が、ひとりあった。シジミで肝臓病を治すと、噂には聴いていたが本当だったんだと、どちらの場合にも驚いたような感動したような思いがした。
わが身一個の狭い交友経験でふたり。ということは、世間には広く数多くあることなのだろう。だというのに、わが常用食材圏外にあるということは、よろしくないのではとの思いが、かねがねあったのだった。四半食の概念を得て、思わぬ決着がついた格好になった。ほんのかすかながら、めでたい気分がする。
目下のもっとも豪勢な四半食はと申せば、チルド食品のビーフシチューである。齢若い友人の結婚披露宴の引出物として頂戴した。正確には、好きな品物をお選びくださいとのカタログを頂戴して、中から選んだものだ。
カタログには、有名ブランドの品物が美しい写真付きで満載されていた。手に執ってみたい商品がいくつもあった。が、考え込んでしまった。この齢で、身の回りに道具を増やすのも如何なものか。
革財布・腕時計・キャリーバッグ・包丁・フライパン・食器組物……どれもこれも魅力的だ。けれど、満足ゆかぬものながらも、今だって手元にあるじゃないか。見映え悪かろうが安物だろうが、同じ用を足す商品なら、わが町内の雑貨屋さんにもダイソーにも、あるじゃないか。
自身ではけっして手出ししないだろう上等品のビーフチュー詰合せを、私は選んだ。四半食の帝王として、今は君臨している。