一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

猫療法

母の病床雑記帳より。

 猫好きにとっては、世界中の猫が可愛いのだという。犬も好きだが、猫のほうがより可愛いだけだという。ところが犬好きにとっては、自分の飼い犬と同じ犬種が可愛いのだという。トイプードルが好き、柴犬が好き、シベリアンハスキーが好きというように、分れるのだという。
 爆笑問題の田中さんが云っておられた。

 TBS ラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」にゲスト出演なさった角田光代さんは、文学の噺もさることながら、猫談義でいっそう盛り上った。
 もともと猫好きではなかったそうな。ご友人から突然「子猫あげようか」と切出され、飼うことになったのだそうだ。飼ってみて急速に、猫の魅力にはまっていったという。今や猫の飼主としてのご著書まで刊行するほどになった。

 いかにも作家らしい自己省察として、猫と暮すことになって幸福観が変ったとの証言があった。明日は今日より向上(か前進か上達)していなければ幸せではありえないとの心理的圧迫を、それまでつねに受けてきたという。猫と暮すようになってからというもの、明日もまた今日と同様に、この猫と一緒に平穏な一日を過せるなら、それはそれで幸せだと思えるようになったという。猫による絶大なる癒し効果、自己肯定効果だ。
 それまで精神的に参ってたんじゃねえの、との爆笑問題からの突込みに、そうだと思いますと、率直に同意なさった。親しいご友人は角田さんの顔色か言動かどこかに、精神の窮地を敏感に嗅ぎつけられて、直接には指摘なさらずに「子猫あげようか」と奨めてくださったのではないかという。

 私はこの齢までに三回、一か月を超える、または一か月近くの長期入院を経験している。一回目は四十二歳時で、ワーレンベルグ症候群という若いうちに罹る脳梗塞だった。直近に血液検査を受けたばかりだったので、病名宣告されても半信半疑だった。
 「さよう、あなたの血液成分はすべて整っております。ただしそれらを溶かし込んである水がありません。血がドロドロです」と、医師から云われた。
 零細出版社にあって、著者にも取次店・書店にも印刷・製本業者にも、始終ペコペコ・ドキドキ・シドロモドロのストレス生活。社内にも社外にも課題山積であれこれ〆切だらけ。慢性的睡眠不足の不規則生活。運動不足でお日さまとは親しくなく、大酒飲みのタバコ吸い。脳内の極細血管を、血が流れなくなった。
 原因は自分自身の生活管理の不手際にある。さようにちがいないが、時あたかも男の厄年。古人の知恵が示すとおりだ。躰はとっくに中年なのに、意識が幼かった。まだまだ無理のきく若者のつもりでいたのだ。天然自然の年齢の曲り角を、無難に曲ることができなかったのだ。

 二度目の長期入院は、夜中にとつぜん呼吸ができなくなった。息も絶えだえの119番通報をして、救急車騒ぎを起してしまった。
 「はい、119番です。火事ですか? 救急ですか?」
 「救急……です」
 「ご本人ですか? 症状をどうぞ」
 「息が……できない……助けて……」
 「ご住所、云えますか? ゆっくりでいいですよ」
 この時の通話を、生涯忘れることはないだろう。急性心不全の発作だった。
 数年後に役者の大杉漣さんが、私とそっくりな症状で急死なさった。独り住いの私は恐怖心から、かろうじて身が動き声が出せるうちにダイヤルしたが、大杉さんはそこで頑張ってしまわれたのだろう。

 二日半、救急救命室に置かれた。片方の肺臓に水が溜り、それを掻き出そうと心臓はフル稼働。すでに水浸し状態だった肺から容易に水は退かず、ついに心臓がパワーダウンしたとのことだった。
 ぶっとい吸水注射器でもぶっ刺して水を抜くのかと思いきや、そんなことはできぬ相談らしく、利尿剤と生理食塩水とを点滴しながら排尿させてゆくしかないという。
 鼻から上腕から手首から、尿道から肛門から、計六本のチューブに繋がれた状態のまま、大学病院地下のはずれの、世にも殺伐として殺風景な救急救命室なるコンクリートと金網の檻に、転がされて置かれていた。

 ようやく循環器内科の、病院らしい部屋に移送されてからも、振返れば興味尽きぬ見聞体験が多かったのだが、今は措くとして、その一件が六十代前半。これまた男の厄年の翌年あたりだった。つまり躰はとっくに老人なのに、意識が熟していなかった。まだ脂っ気の残る中年のつもりでいたのだ。またしても天然自然の年齢の曲り角を、無難に曲ることができなかったのだ。
 古人の云い伝えには、耳を傾けておくものだ。

 角田光代さんは猫好きではなかった。それどころか家内に小鳥を飼っていたことから、むしろ猫に対する警戒心すら抱いておられた。ところがご友人のお奨めにふと耳を貸してしまい、あれよあれよという間に、猫と耳にするだけで眼尻を下げる小説家となり、本まで書かれるとは、いかなることだろうか。
 女性の厄年については知るところがないけれども、ご自身による診断のとおり、とかく巧みに曲ることのむずかしい曲り角を、幸福観の変化というかたちをとって、無難に曲りえたのだったろう。猫療法とはまた、うまい療法に出逢われたものである。

 拙宅では、開花宣言より五日。三分咲きだ。隣は花梨。