一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

永平寺


 この季節だ。冷し善哉としてもいたゞけると、説明書きにはある。が、生れて初めて口にする品だ。調理済みのチルド食品とはいえ、丁寧に湯煎して、本来のいたゞきかたをした。
 大学院生の野間口君から、ご郷里福井のお土産。大本山永平寺ご用達の名店による珍しき逸品。

 学生サークル「古本屋研究会」とは長く関わってきた。定年退職と同時に顧問役も退いたが、今も名誉ヒラ会員の一人ではあり続けている。
 野間口君は学部現役生の活動を了えて、本来であれば気楽な OB 参加でいられるところだ。ところが、こゝ数年の活動自粛状況下にあって、学外実践活動や下級生新入会員勧誘が不自由だった事情から、よろづに手不足。大学院生となった今も、後輩学部生の現会長を助けて、副会長の名目で後見役を担ってくれている。

 さきごろ「学部内文フリ」なる催しがあった。熱烈愛好家のあいだで知られる「文芸フリーマーケット」の学内版だ。用済みの書籍や、手造り商品や、自費出版した同人誌などを出品して、それぞれ交換の実を挙げ、なおかつ新たな知己を得る機会にもしようとする、自主市場である。わが「古研」も参加出品した。
 拙宅は住むにはボロ家だが、空間だけは余裕があるので、「古研」の倉庫となっている。荷の搬出や残品の収納作業に、野間口君は来宅したわけだ。

 検索による情報収集が当りまえになった時代でも、各人わが身一個の「知」との出会いは、アナログの現場で起る。足だ、意欲だ、好奇心だ。さよう信じて、古書店散歩のサークルを、二十数年やってきた。初期会員の卒業生らは、すでに四十歳代に入っている。
 元気な若者たちからエネルギーをいたゞいて、ずいぶんあちこち歩いた。遠出の記録としては、大阪の古書店を巡ったこともある。古書店ばかりでなく、大阪初体験の学生諸君を案内して、通天閣に上り、じゃんじゃん横丁を歩いた。心斎橋筋を抜けて道頓堀・千日前も歩いた。
 法善寺横丁では全員で夫婦善哉を食べた。一対の椀の片方を隣席へ回そうとする若者に、そうじゃない、ふた椀で一人前だから夫婦善哉だと、慌てて説明した。
 「月の法善寺横丁」の碑に案内したが、当然ながら藤島桓夫を知る若者は一人もなかった。

 今ではすっかり逆転だ。繁華街を歩いてちょいと休もうにも、スターバックスでなにをどう注文すべきかも判らない。腹ごしらえしようにも、タッチパネルで注文してくださいと云われては、戸惑う。若者から教わらねば、繁華街を満足に歩けない。

「禅彩」胡麻豆腐入(大本山永平寺御用達 米又 謹製)

 今さら繁華街を愉しく歩きたいとも思わない。が、越前永平寺へは、生きているあいだに一度は詣でてみたいものだ。「ゆく年くる年」のオープニングで映し出される石段を登ってみたい。
 その大本山永平寺からのお土産。餅ではなく胡麻豆腐を浮かせた善哉だ。よきかな。
 わが家の宗旨は、真言宗だけれども。