一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ヒヨドリ〈追悼〉


 地下鉄「千石」駅から地上へ出て、東洋大学正門方向へと歩く。いったんだらだらと下り、東洋大学を過ぎるあたりからはかなり急な上りで、白山上へと上り詰める。旧白山通りだ。下りはじめてほどなくのところに、その中華料理店はあった。

 中学・高校時代のバスケットボール部 OB 有志による昼食飲み会である。私を最年長の一人とする、上下十年とは開かぬ顔ぶれ。寄る年波、昼飲みが助かる。日暮れて二次会へと繰出す豪傑たちもあろうが、一度壊れた躰としては、ご遠慮申しあげている。
 今回は特別な会で、先ごろ積極果敢な闘病もむなしく他界した、かつてのチームメイトを偲ぶ会である。奇しくも本日で百箇日をお迎えの夫人もご出席くださった。ご家族ぐるみのお付合いがあった夫人仲間数名も駆けつけてくださった。総勢二十名ほどの昼食会である。

 会食中いく度も献杯の唱和がなされ、出席者全員が次つぎ立っては故人にまつわる思い出を語り、夫人の枕側の労をねぎらった。
 故人は、私の二年後輩だった。中学高校にあっての三年生と一年生の間柄といえば、私が彼をおおいに鍛えてやったということになるのだろうが、さような記憶はほとんどない。妙にウマが合う後輩として、親しく口を利き合った思い出ばかりが残っている。
 とはいえ私とは似ても似つかぬ学業優秀な男で、大手製薬メイカーに勤務したから、私生活において私との接点は皆無に近く、社会人となってからは疎遠に過してきた。
 症例がほとんどなく、その治療経過は論文化されて学会報告されようかというほどに、珍しい癌に冒されたそうだ。夫人のおっしゃるには、ドクターからの指示を寸分も違えることなく、大量の薬を正確に服用していたという。製薬メイカーに身を置いた者として、治験の一翼を担う使命感をも感じていたのだろうか。

 チームメイトとしても私生活においても、文字どおり莫逆の友として、もっとも親しく交わった同学年の面々からは、凄まじいスピーチが相次いだ。チーム内で教員から覚えめでたかったほぼ唯一の生徒だった故人のおかげで、危うく停学処分を免れた噺が出た。故人が濡れ衣を着せられた不祥事の、真犯人が暴露された。
 声を詰らせて、スピーチを途中で中断する者もあった。飛び交う野次に応えて、あわや論戦となりかけた一幕もあった。

 ―― 二年上でした一朴です。奥様がた、はじめまして。
 彼の人柄について、三つの点が思い起されます。第一は、お洒落な男でした。信州高遠での合宿を打上げて帰京という朝、ブリキ板を張り回したような流し台に向って、シャンプーなんぞという気の利いたもんはないから、彼は石鹸でゴシゴシ髪を洗っていました。「一度では泡が立たん」とか云って、水で流した髪にもう一度石鹸を使いました。なにせ今朝のロードワークまで汗みづく・埃だらけだった中高生たち、しかも擦れ違う人に臭がられようともへっちゃらの男子集団です。髪を二度洗いした部員は、彼一人でした。

 ―― 第二は、理知的な男でした。数年後のやはり高遠の宿でしたが、私が未熟な若手コーチで、彼が助っ人に駆けつけてくれたヤング OB だった時の、夕食後のミーティングでのこと。私の噺は未熟ゆえに要領を得ず、どうしても長くしかもくどくなる。現役選手たちは飽きあきしてきます。
 やっと私の噺が了ったあと彼は選手たちに向って、「先輩のおっしゃるのはね、理論じゃないんですよ。お説教でもないんだ。経験なんですね。実際やってこられたという、動かぬ実例なんですよ……」以下かいつまんで要領よくまとめてくれました。なるほど、そう話せばよいのか。たいそう理知的な男だなぁと、感服したものでした。

 ―― 第三は、筋を通すに頑固な男でした。プレースタイルにおいて好対照の東山君というチームメイトがあったわけですが、今もそこに腰掛けてますけども、東山君は動きも体捌きもごく柔らかい男で、ウナギにようにヌルヌルッと、いつの間にか敵陣ゴール下へ潜り込んで行く。なぜかリバウンドボールが東山君のところに落ちてくる。
 そこへ行くと彼は、稲妻のような動きでガキガキッと敵陣へ入って行きました。相手陣選手との接触も避けられず、常に膝だの太腿だのが痛かったことでしょう。そして俺は東山とは別の道を行くと、開眼決断したのでしょう。我われは零度と称んでましたが、エンドライン沿いの、つまりゴールリングの真横ですね、その遠距離からのジャンプシュートを、全員練習が了ってからも、独りで放り続けておりました。

 ―― お洒落、理知的、筋を通すに頑固で一途。彼の人柄を要約すると、この三要素と私には記憶されておりますけれど、いかがでしょうか奥さま、当っておりましょうかしらん。


 二次会豪傑組とも夫人がたともお別れして独りになり、とりあえず土地勘のある池袋まで戻った。どこかに立寄ろうかと、いったんは地下道を歩きだしたのだったが、あまりの雑踏に尻込みしてしまい、私鉄乗換え口へと引返した。雑踏へっちゃら人混み上等で生きてきた半生が、嘘のようだ。
 結局はわが町の、いつもの居酒屋の、いつもの L 字カウンターの曲り角席。店内禁煙。店の前に重ねられたビールケースの上には、業務用調味料のデカイ空缶に水が張ってあって、往来に晒しの即席喫煙場。
 ダイソーとビッグエーが入る筋向うのビルの屋上には、巨大なアンテナが立っている。どういうわけか今夕は、ヒヨドリの番いがいつまでもとまっていて、鋭い鳴き声を挙げている。首都上空には、日に何百もの大型ジェット旅客機が飛ぶ。