一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

一匹の


 今年も、この季節が巡ってきた。拙宅のわずかな敷地内でも、雑草群のあいだを縫う飛石の上で、ミミズが絶命する。これが今年の一匹目。今月から来月にかけてあとなん匹か、命果てるはずである。

 なまじ草むしりに精を出したまま、念入りな水撒きを怠っていると、土中の保水力が低下する。土中温度も著しく上昇するのだろう。そうと承知のうえで手をこまねいてきた。昨年までの何年かは、亜熱帯気候のスコール襲来かとばかりに、短時間豪雨に見舞われたからだ。私ごときの配慮よりは、天の配剤のほうがはるかに効果的なのは当然だ。
 問題は私の草むしりがあまりに粗雑な点にある。地表が露呈して乾燥し切った箇所と、むしり残った雑草類が踏ん張って地表をふたたび覆い隠すにいたった箇所との、ばらつきが甚だしい。地中生物たちにしてみれば、恵まれた環境と劣悪なる環境との、格差が著しいのだ。

 地中生物たちは、好ましい環境を敏感に嗅ぎつけて、かしこく移動を繰返していることだろう。肉体が微小なものたちは地中の気相部分を、すなわち土粒と土粒との隙間を縫って移動することも容易だろう。
 が、地中にあって最大級の巨大動物たるミミズは、さようなわけにはゆかない。気相部分を手がかりに、土粒を動かしたり変化させたりしつつ移動する技術も持合せてはいるものの、いかんせん手間が掛る。それよりはいったん地上へ出て、抵抗の少ない空気中を這って移動したほうが、時間的にも労力においてもはるかに効率がよろしい。地中温度の急上昇という環境激変の緊急性と、コスパとの両面を勘案すれば、ミミズの戦術選択はもっともだ。

 しかしここに彼らに未知の難関が待ち受けている。思わぬ陥穽ともいえる。石材やコンクリートだ。雑草繁茂する地表を行くより、はるかに近道だし、硬く平らで這いやすい。最良の通行路である。ただし、常温であるならば。
 この季節でさえなければ、あるいはせめて深夜や払暁であったならば、砂漠地帯を越えて対岸の雑草に覆われた地表にまで到達できたかもしれない。が、この硬い砂漠はこの季節、気温の上昇に呼応してまたたく間に温度上昇する。ミミズの皮膚の防護力限界をはるかに超える。
 彼の破滅は、固体の熱伝導率という知識を持たぬところに訪れた。愚直で臆病な仲間のなかには、近道など思いつかずに、旧態依然たる雑草伝いの地表を這って、時間をかけて向う岸にまで到達しえたものもあったかもしれない。

   昔、僕はこの崖の極みの ひと粒の虫だったかもしれない
   地平線の森へ歩き出した 疑わない虫だったかもしれない
   あの雨が降ってくる 僕は思い出す 僕の正体を
   昔から降ってくる なつかしく降ってくる
          (中島みゆき『昔から雨が降ってくる』)

 かつては「果敢に~する」という姿も云い回しも好きだった。自分がさして果敢でもない気性だったから、憧れがあったのだろう。そのくせ人生の曲り角のいくつかで、無茶だったり大胆だったりした覚えもあるところをみると、実行に移さねばと自らを叱咤する想いもあったのだろう。
 今はない。ミミズの骸に眼をつけて片づけにかかるのは、さて今年は鳥たちが先か、それとも蟻たちが先かと、眺めている。