一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

昭和の塀

 辺野古新基地の建設中止を呼掛ける、日本共産党のビラである。軍事基地および関連施設の七〇パーセントが、国土面積の〇・六パーセントを占めるに過ぎぬ沖縄県に集中するとして、これはいじめに相当すると、クラス中のランドセルを一人で背負わされるチビッ子のイラストが描かれてある。

 つねであれば郵便受けに放りこんでくださるものを、今日にかぎって新浜さんがインタホンを鳴らして、手づからお渡しくださった。
 今年の初めころご体調を崩されて、代りにお若い活動員さんが見えておられた。そのかたに容体をお訊ねしても、「さあ、詳しいことは。なにせお齢ですからねえ」としか返ってこなかった。
 暑い盛りに復帰された。旧友と再会した気がした。
 「まだ足元がふらふらして、なにもかも安定しないんですよ」
 苦笑いか照れ笑いか、相好を崩された。長年ご愛用だった自転車は、ずいぶん車輪の小ぶりな子供自転車に毛の生えたような新車に替った。律儀にも新品のヘルメットを被っておられる。

 活動歴の長い党員で、学部こそ異なれ大学のなん年か先輩にあたられる。私の級友にも民青の活動家が三人あったから、申しあげればあるいは記憶される名もあるかもしれない。しかし話題にしたことはない。
 生業はとうに引退されたが、ロシア語の勉強はしぶとく続けてこられ、五年ほど前には、同志のかたと共同翻訳なさったソ連時代の反体制作家の長篇小説が上梓された。なんでも二十世紀のロシア文学にあっては、ソルジェニツィンと同等かそれ以上に貴重な作家だけれども、日本はおろか世界でもまったく評価されてないとのことだった。

 もとより私は日本共産党員ではない。が、新浜さんとは長いお付合いだ。どぶ板選挙という語があるが、さしづめ近隣のどぶ板情報を耳に入れてくださる。世間の狭い私にとっては貴重なかただ。新浜さんに連れられて、代々木の党本部ビル内を見学したこともあった。なるほどセキュリティーとはかようなものを云うのかと、感嘆したもんだった。小池晃書記局長が出てこられて、歓迎の辞を述べられたのには恐縮した。
 あるとき新浜さんは、豊島区議会議員を同道して来られた。この人ともかねてより顔見知りで、人柄と闘志とには日ごろから敬服してきた。
 「そろそろどうですか。入党のお考えは?」
 冗談じゃない。なにが「そろそろ」ですか。「なにを今さら」の間違いでしょう。肉体的健康状態からも頭のボケ具合からも、約束だの使命だのに耐えうる者ではござんせん。丁重にご辞退したのは申すまでもない。

 さてその新浜さんが、わずか一枚のビラを手渡すためにわざわざインタホンを押されたのは、カラー印刷された漫画的イラストの故だった。
 「珍しく若い仲間ができましてね。なかなか有望なんですが、器用な青年でして、画も描くんです。嬉しくってですね、ぜひ直接お渡ししたくって」
 日本共産党のみならず各政党とも、党員の高齢化は外野から想像する以上に深刻なのだろう。稀に駅前で、ハンドスピーカーを片手にした小ぢんまり演説会に遭遇することがあるけれども、歩を停める聴衆も、あいだを縫ってビラ配りしている活動員も、初老か高齢者ばかりだ。日本中の職場にあって、団塊世代の頑固ジジイが癌なんだよナなんぞと云われてからさえ、もう十年以上も経つのだろう。

 往来に面した拙宅のブロック塀は、管理も清掃も行届かぬまことに粗末な塀だ。そこには簡易掲示板が二面設置されてあって、一面は日本共産党専用スペースだ。季節のポスターだ選挙用だと、貼替えとその後の管理はすべて活動員さんにお任せしてある。もう一面は公明党専用スペースだ。こちらもすべてお任せである。亡父の頃からご指導いただいてきた税理士の先生からのお頼みだった。公明党からもたらされる情報は、同じどぶ板情報といっても日本共産党とは微妙に角度が異なっていて、これはこれで貴重なお付合いである。
 その昔、メディアを巻込んで大喧嘩した、犬猿の仲の両党だ。他党のポスター貼りはいっさいご遠慮願っている。つまり拙宅の塀は、政治的立場表明の場ではない。渡世の人間模様の表れである。
 与党も野党も、一度はポスター貼りを所望に来宅したが、すべてお断りした。断られて改めて塀を眺めてもらえれば、事情は(また意図は)一目瞭然だろう。
 ところがかつて、功を焦ったものか使命感旺盛に過ぎたものか、犬猿両党のポスターが貼ってあるからには見境なしのフリースペースと勘違いしたらしく、無断で貼っていった小政党があった。経験の乏しいアルバイト活動員ででもあったのだろうか。腹立たしいことにポスターには掲示責任者の記載もない。選挙事務所に電話しても誰も出ない。しかたなく党本部に電話して、広報担当に即刻撤去を依頼した。自分の音域のうちではもっとも低いオクターブで、強く大きめの声を使った。翌日剥がしてあった。そのさいにも、ひと声も掛けられなかった。

 そんなことを思い出しながら、買物途上にきょろきょろと眼配りしてみたら、拙宅のごとき汚いブロック塀は、もはや近所に一軒もなかった。