一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

空振り



 久かたぶりにサカゼン池袋店へと出向く。Gパンを一本買いたくて。だがまたしても、私は浦島太郎だった。

 サカゼン新宿店を利用し始めたのは、一九七五年ころだったろうか。場所は今と同じ新宿二丁目の本社ビル一階で、後年ゲイストリートとして有名になる一帯の入口ともいえる、靖国通りに面した場所にある。長身もしくは肥満体用の衣料を探すのが、今からは想像できぬほど難しい時代で、その分野を得意とし売物ともするサカゼンは、私にとってはなくてはならぬ店だった。
 スーツだろうが普段着だろうが、ふつうの洋品店では特殊サイズ扱いで、型も色もほとんど選ぶ余地がなかった。デブやノッポに吊るしはぜいたくだ、着たければオーダーメイドしやがれ、という服飾界だった。ところがサカゼンでは、縦に高い・横に広い・両方にデカい、あれこれのサイズがとり揃えられ、選ぶ自由もかなりあった。

 サカゼンビルの階上には、ほるぷ出版が入っていた。児童文化の専門出版社である現在のほるぷ出版の前身ではあるのだろうが、途中いく度か企業体としての変革期があり、継続されてきた同一会社ではないと聴く。さらに前身である図書月販という社名もまだ活きていて、全国の学校図書館や事業所図書室などに向けて、セット物を定期的に納めてゆく事業をしていた。そこからオリジナル刊行物の出版業へと脱皮を企てておられる過渡期だったのではないだろうか。
 私は一度、お訪ねしたことがある。勤めていた零細出版社の倒産騒ぎで、ちょいと暴れちまったことがあった。放漫経営者と金融機関と、総会屋崩れのゴロツキと即製労働組合とによる、四つ巴の喧嘩となったのだ。遅配欠配給料を乱暴にむしり取って退職した零細組合の書記長という凶状持ちとなった私には、次の勤め口などなかった。新聞求人欄で眼にしたほるぷ出版へ、出向いてみた。会ってくださった社員さんはいかにも好人物そうな人で、私の履歴書を念入りに眺めた。
 「さァて、あなたが働き甲斐を感じる仕事が、ウチにあるかなァ。ま、それでもよかったら、来週までに作文を出してくださいな」
 正直な人だと思った。事業内容の詳しい説明を伺った私も、それもそうだなと感じて、作文は提出しなかった。行きつけの洋服屋の上に出版社があったんだ、という記憶だけが残った。

 一九九〇年代となって、サカゼン池袋店が開店した。そうなれば、新宿店よりは便利だ。以来今日まで三十年間、衣料に金のかかる暮しはしたことがないとはいえ、時おり買物をしてきた。とくにGパンは、ほぼ一本取引きのようにエドウィンのシリーズが並ぶ。私はエドウィンのGパンだけを履いてきた。おかげでたまたま他の店に入る機会があっても、ジャケットだろうがバッグや小物類だろうが、デニムについてだけは多少眼が利くようになった。
 現在までに二度大病をして、人間らしい体形に近づいてきた。Gパンのウエストは最大瞬間値四十二インチを履いたこともあったが、その後三十六インチを長年履いたあげく、今は三十二インチを愛用している。ベルトで絞めているからで、下げようと思えばもっと下げられる。普段着もかつてのようにスリーL 以上を着ることはなく、L サイズかせいぜい LL サイズで間に合うようになった。
 サカゼンにあっては、LL とスリーL との境目がことのほか重大である。スリーL 以上であれば、六階七階のラージサイズ専門フロアにて買物せねばならない。私は二度の大病を含む「苦難の」歳月をかけて、Gパンもその他の衣料も、六~七階の客から晴れて一~二階の客へと生還したのである。当然ながら今日も、エレベーターに乗るつもりなんぞこれっぱかりもないままに、入店したのだった。

 ところがである。一階の売場は私の観慣れた風景からはガラリと変っていた。レイアウトが変ったのではない。品揃えがまったく変ったのだ。季節がら、コートとダウン防寒着が並ぶのは当然として、スーツもジャケットもスラックスも、どことなく色艶が違う。そして通い慣れた奥のコーナーをいかに視回しても、Gパンの棚は一段もないのである。売場変更かと思いたいところだが、通路を歩く途上で視落すほど広いフロアでもない。
 全館規模の配置換えでもあったかと、階段まで戻って、全館案内図を入念に眺めたが、どうやら私が求める Gパンも普段着も、館内では売ってないようだった。

 とりあえず、タカセ・コーヒーサロンへと退却した。

 冷静さを取戻して思い返すと、まず初手から気に入らなかった。往来に面したアイキャッチの棚に、色もデザインも様ざまなスニーカーが並べられ、まだまだヴァリエーションありますと云わむばかりに、箱がうず高く積上げられてあった。靴は服か?
 店内へと足を踏入れると、明らかに高級品化した品揃えだった。普段着・遊び着よりも、男の外出着が売場の多くを占めていた。明らかに客単価を上げる戦略だ。ドン・キホーテとの住み分け差別化だろうか。
 年配の店員さんの姿が見えなくなった。若い男女店員さんがたが、眼が合ったでもない私にまで「いらっしゃいませ~」と声をかけてくださる。表情を窺いはしなかったが、もの柔らかで礼儀正しそうな声だった。身だしなみにもお洒落にも金を使いたい、また使わねばならぬ立場の若者が中心ターゲットである。むろん私からは遥かに遠い客層だ。

 従来の六~七階に加えて新たに三階が、スリーL 以上のラージサイズ専門フロアとなっていた。若者には長身も巨漢も多い。また滞在期間の長い外国人さんのなかには、日本人の標準寸法では不自由とする人も多かろう。そうした部門は発展しているにちがいない。

 さらにさらに、昨今 Gパンを普段着として着用する若者はほとんどないとも、聴いたことがある。不格好な労働着なのだろう。ある意味、正常な感性に戻ったとも云える。『ローハイド』『ララミー牧場』など観たことも聴いたこともない人たちが、国民の大半なのだ。『大草原の小さな家』ですらご存じないのだろう。お若い層はとなれば、生れた瞬間から『ハリーポッター』であり、せいぜい古いところで『バックトゥザヒューチャー』『スターウォーズ』なのだろう。そして実人生とは似ても似つかぬことがまずもっての前提となっている、魅力的なゲーム群。
 ジョン・ウェインゲイリー・クーパーも、ジェイムズ・ディーンユル・ブリンナーも、スティーブ・マックィーンもジェイムズ・コバーンも、若者の眼からは左卜全や上田吉二郎と変るところがないのかもしれない。
 事態は明瞭である。今どきGパンなんぞを履いて池袋の街をうろうろしているのは、ジジイたちだけだ。観るがいい、この埃っぽさと垢抜けなさを。

 けれども私は、これを脱ぐ気はない。帰宅してから検索してみたら、東武百貨店のなかにテナントとして、エドウィンの売場が出ているようだ。今日は空振りに了ったが、近日中にもう一度、池袋まで出向く。やれやれ……。