一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

調理完了報告


 口での説明は簡単だ。が、口ではひと言で済んでも、かかる手間はなかなかだという場合もある。なんのこっちゃと申せば、里芋の煮っころがしのことだ。

 まず皮剥きが容易でない。料亭料理のように、また御節料理クワイのように、包丁で厚く剥いてしまえば早いのかもしれぬが、あまりにもったいない。だいいち包丁そんなに巧くねえし。
 鍋底の煤などを洗う用の金属タワシで剥いている。料理の先生は硬めのスポンジで十分とおっしゃる。そんな好都合なスポンジねえし。だから剥いたあとも、タワシの金属片が表面に残っていないか、丹念に調べる。もしくは柔らかいスポンジで洗う。
 ミッキー風船の耳みたいな瘤は外して子芋とし、しわのような筋目に入り込んだ汚れは一本づつ落し、しこりになっている傷みは包丁の角で抉る。一様な色合いの芋となるまでの下ごしらえ時間は、料理番組には出てこない。皮剥きだけで指が痛くなるとは、料理本には書いてない。

 「味付けは手前から」が原則だから、前回はそれに従った。それなりにはできたが、不十分だった。料亭料理を真似しようというのではない。下品を恐れずパンチ力のある、飯のおかずを拵えようというのだ。今回は油通しの火加減も工夫したし、砂糖も醤油も強めにしてみた。とてつもなく甘じょっぱいガラクタができてしまう懸念もあったが、度胸一番、なにごとも経験だ。
 仕上りはまずますだ。これでよろしいのかと、呆気ない気すらした。が、私の感覚からすると、砂糖も醤油もたいした量である。これを抑えるには、次回以降いかに考えるべきだろうか。醤油を抑えるための、出汁の工夫は可能か。砂糖を抑えるために、料理酒の加減をいかにするか。それとも、なん年も遠ざけてきた味醂にふたたび手を出すか。いっそ伝家の宝刀、蜂蜜を試みてみようか。

 しょうもないことを云うでないと、ご忠告くださるかたもある。年金が目減りするぞ、郵便料が値上げされ封書一通百十円になるぞと、教えてくださる。ウクライナガザ地区ではと、教えてくださる。いやそれよりなにより、来年の総統選の結果いかんでは台湾有事となり、さすればわが国有事も避けられぬぞと、教えてくださる。齢をとったからって、考えなくてもいいってもんじゃねえぞと、ご教示くださる。
 だが年寄りも人によりけりだ。私ごときが生意気な口をきけば、どなたかにご迷惑をおかけするに決ってる。独居老人の余生は、どうしたってどなたかのご迷惑となるは必定だ。だったらより少ないご迷惑での過しかたを工夫するのは、当り前ではなかろうか。
 ウクライナ問題が重大でないなんぞとは、これっぽっちも思ってない。ただ私一個の暮しにおいては、ウクライナも里芋も同様に大切だと申しているに過ぎない。

 この秋冬もいく度かにわたって、学友大北君からたくさんのご丹精野菜を頂戴した。いつものウッカリで欠礼してしまう懸念もあるから、日記にして投稿した場合もあった。この里芋ですべてを調理し了えたことになる。私にとっては重要な問題なのだ。放っといてくれ。