一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

突然の別れ



 いく種類かの別れの場面をかねがね想像してみたりもしていたが、事実はいずれとも違っていた。

 古本屋研究会の学生諸君が、新入生の歓迎・勧誘を兼ねて古書店散策に歩くという。誘ってもらえたので、唯一のジジイ会員も歓んで参加させていただくつもりだった。定刻までは寝ていようと、朝寝を決込んでいたところを、来客チャイムに起された。
 目白警察と名乗られた。近隣に老人相手のオレオレ詐欺架空請求電話による被害が発生しているとの注意喚起かと思った。これまでいく度か、生活安全課によるさような警戒活動に接してきたからだ。が、今日は違った。

 交通事故で、拙宅の老桜樹が倒されたという。現場を確認せよとおっしゃる。まさかとの思いで表に出てみて、息を呑んだ。棒立ちになった。
 なんでも大型トラックが積荷の頂点だかを枝に引掛けて、そのまま引倒したのだという。まさかと、また思った。植木職の親方に年に一度づつ入っていただいてきたが、親方はお気を使ってくださり、道路側へ張出した枝を詰め、上と敷地内とに伸びる枝のみで、長年樹形を整えてきてくださった。大型車の通行を邪魔せぬように、またドライバーさんがたの眼から行く手の交通信号や道路標識が隠れたりせぬようにと、行届いた配慮をしてくださってきたのだ。
 現にスーパーやコンビニへと納品するボックス型のトラックなど、かなりの大型車が拙宅ブロック塀の前に駐停車するのは、ごく日常的光景だ。たいていは無断駐停車だが、たまたま出入りする私と眼が合ってご挨拶を受けることがあっても、どうぞどうぞ、ウチは商売してるわけではございませんからと、鷹揚に対応してきた。車が通行するのに、また塀ぎわに寄せることがあっても、桜の枝が行く手を塞ぐなんぞということは、とうていありえないのである。


 警察官から促されて表へ出てみたとき、すでに事故車の姿はなかった。ドライバーさんは事情聴取されていたけれども。
 警察官によれば、ニ十トン車級の超大型トラックで、普通はこの路を走ることなど考えられない車だそうだ。よほどの事情でもあったのだろうという。それにしたって拙宅の桜樹は、よほど梢に近い、とんでもなく高い箇所ででもなければ、道路に張出してなどいない。工業運搬用のトラックに丈高い重機でも積載していたのだろうか。

 警察からの依頼は二点。電柱から拙宅への引き込み電線に寄りかかるようにして、太枝が邪魔しているから、東電に至急連絡して欲しい。それから樹木撤去の業者手配をして欲しいとのこだ。
 東電ったって、送付されてくる請求伝票で指示されるままに、電力使用料をコンビニから送金してきただけの関係で、日ごろの付合いなんぞありゃしない。検索してみたら、進化樹か阿弥陀くじのように組織図が枝分れしているだけで、さてどちらに連絡したものか見当もつかない。ええいっママヨとばかりに、とあるカスタマーサービスへダイヤルしてみる。始めは機械対応のアンケート。しだいに枝分れして、女性オペレーターの声に到達した。実状を掻い摘んで訴えると、案の定、そこはお門違いだという。
 「お教えくださいませんか。どちらへおかけしたらよろしいでしょうか?」
 かなり長いあいだ、といっても一分か一分半、音楽を聴いた。その後、とある関連会社名と電話番号を教えてもらうことができた。で、ようやく窮状訴えに至った。
 次は、日ごろ懇意の植木職の親方である。

 親方はすぐさま、自転車で駆けつけてくださった。心強い。
 「こりゃあ、アタシの手にゃあ負えませんわ。重機を入れて始末する仕事になりましょうぜ」
 「そうでしょうとも。そこで親方、さような業者さんのお心当りはございませんかねえ」
 「さぁてねえ。アタシなんぞより、東電のかたがお見えになれば、ご経験おありと思いますよ」
 なるほど、それもそうだ。親方と私、それに警察官ご一同、東電の現場人を待つ態勢となった。その間にも警察官がたは、ブロック塀から拙宅入口全体に、黄色いビニールテープによるピケを張り渡してしまった。テープには等間隔に黒文字で「立入禁止」と印刷してある。桜樹が押し倒された衝撃で、古いブロック塀にいっそうの歪みが来ている。歩行者や通行車輛があるときに、もしも倒れたりしたら危険だというわけだ。この問題は、警察の担当らしい。時代劇ドラマにおいて、蟄居閉門を申し渡された屋敷の門が、青竹のバッテンで封鎖されるようなものだ。


 親方と私は、立入禁止区域に立っている。この樹についちゃあ親方とは、語っても語り尽せないあれこれがある。いずれかひとつを想い出噺にすることなどできようはずもない。互いに口数は少ない。
 「いつかは来るべき日だったのですが親方、ふいにこんなふうに……。長いあいだ、ほんとうにお世話に……」
 毛糸帽をわし掴みに脱いで、深々と頭を下げた。親方も野球帽型の帽子の鍔にお手をかけた。互いに笑顔だ。粉川さんのお婆ちゃんが出て見えた。
 「毎年楽しみに見せていただいてきたのにねえ。これ、玉ねぎのスープ。おいしいのよ、ここらのスーパーでは視かけないやつなんだから。出汁にも使えるし」
 レジ袋に入った即席スープの素をいただいた。

 今日明日にも満開宣言を発しようかと、心づもりしていたところだった。例年なら観あげることしかできぬ満開の桜花が、眼の前に身を横たえている。手で触れることも、匂いを嗅ぐこともできる。
 首都強靭化計画の一環とかで、この場所はいずれ東京都から召上げられる。立ち位置の窮屈さから、無理な樹形作りを重ねてきた老桜樹に、移植による二度のお勤めは期しがたい。早晩息の根を止められる運命だった。老桜樹と私と、さてどっちが先かなんぞと、人にも云い、わが覚悟ともしてきた。幸いにして私が達者でいるうちに、もしもその日がやって来たら、金剛院さまのお知恵を借りて、家供養・樹木供養をせずばなるまいと、考えたりもしていた。
 だが事態は、さように暢気にゆったりとは運ばなかった。正午過ぎには強引に引き折られ、警察だ東電だ、工務店だ伐採職人だと、目まぐるしい展開を経て、午後六時には切株と根のみを残して、地上部はきれいさっぱりと片づけられてしまった。そのつかの間に、老桜樹は私と親方の眼の前で、ふだんはけっして観ることかなわぬ角度から、花を見せてくれたのである。