一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

夜更けて候

 

 かすかに秋めいてきたとはいえ、肌に心地よい風が感じられるのは、夜更けてからと早朝のみだ。陽が高いうちの残暑には、あい変らず戦意を喪失する。

 本日の洗濯ものの異色第一は暖簾だ。いつ頃のいかなる機会の引出物だったかさっぱり記憶にないが、十代目(ご先代)の桂文治師匠から暖簾を頂戴した。桂一門といえば、家紋は「結び柏」と決っている。
 わがパソコンデスクの部屋の入口に、なん十年もさがり続けてきた。かつては父の部屋であり、要介護の身となってからは介護用ベッドを据えて、いわば在宅介護の前線だった部屋だ。その頃から、暖簾はさがっていた。十代目と昵懇だったのはむろん私ではなく父だから、この暖簾は私とともに父の最期までを看とどけてくれたことになる。
 日常的にヒラヒラと動くものだけに、眼に立つほどの埃まみれになることもないから、まだいいだろうとばかりに、なんとなく放置されてきた。が、微細に点検すれば、ずいぶん汚れている。で、今日こそは洗濯に及ぼうと決断したわけだ。もし藍が移ることがあっても大過なきよう、一緒に洗う品まで選んだ。

 異色の第二は頭陀袋だ。友人の画家武藤良子さんデザインのグッズで、個展のさいに土産物として販売されてあったから、一袋いただいて愛用している。こちらはすでに三回は洗濯されてきた。
 書籍や書類や筆記用具は肩掛け鞄に収める。頭陀袋には紙入れと煙草とライターに、ハンケチとポケットティッシュ、それにデジカメが入る。ふいの用途が発生しても、わざわざ鞄を開けずに済んでほしい品じなだ。ジャケットの下に、ということは日常的に下着に接触して身に沿うている。外出時のみならず、デスク室から台所やトイレへと宅内を移動するさいにも、肩から外されることがない。外されるのは浴室の脱衣場と、就寝前に目覚し時計を設定する時である。
 ということは、めっぽう汚れる。並の汚れようではない。自分では馴れっこだが、人さまのお眼には、路上生活者の巾着もかくやと見えることだろう。で、今日こそ洗おうと決断したわけだ。

 なぜ洗濯が間遠になったかというと、縁の手前がわも裏がわも、半分ほどが経年使用の擦切れにより、ほつれて繊維が飛出してきたからだ。つまりは物入れ口の縁の二重部分の半周が口を開けた状態となった。無頓着に洗濯でもしようものなら、傷口を大きくするのではと懸念された。
 正しい対処法を思いつかぬうちに日数ばかりが経つので、やむなく粗雑な荒療治に踏切った。なんのことはない裁縫箱を取出して、もっとも初歩的なやりかたで糸かがりしたのだ。腕前はすこぶる拙い。しかも近年めっきり、細針では針孔に糸が通らない。ジーパン修理と同じ長孔の開いた太針だ。ほつれていた箇所は縫い締められたり隙間が毛羽立ったりの、交互二拍子進行となった。細かい引きつれもできた。

 そんなであっても、さしあたり傷口の拡大は、ともかく止った。で、これならばと、洗濯に踏切ったのである。
 敵はただならぬ汚れだ。まず浴室にて手洗いだ。靴下のように全体を裏返してから洗面器に浸け、石鹸をなすりつけて揉み洗いし、二度も三度もすすいだ。もう一度石鹸を使って繰返した。それから袋を表に返して、こちらも二度石鹸を使った。紐部分は一度で済ませた。濡れているから、どのていど洗えたものか、色からは判じがたい。すすぎこぼす水の色は、たしかに透明に近くなってはきたけれども。
 その状態で粗絞りして、洗濯物袋へ放りこんだ。あとはランドリーの洗濯機と乾燥機にバトンタッチだ。

 
 さいわいにも夜更けのコインランドリーは、がらすきだった。通常の家事時間族と特殊深夜族との端境期的な時間帯に当ったのだろうか。洗濯機を二台回した。乾燥機は一台で間に合せた。
 丸窓のようになった乾燥機の扉の天地中央付近には横線が引いてあって、適量上限が示されてある。一杯いっぱい、厳密にはわずかにオーバーしている。ジーパンなど厚物が含まれる場合、またタオルケットなど大物が含まれる場合には、三十分では乾かない。折返しや縫目部分に、かすかな湿気が残ってしまう。が、今夜はさような厄介者は含まれていない。

 浴室用・枕カバー代り・アイスノン枕カバー用と、バスタオルが三枚。汗拭き・台所・浴室・トイレなどのタオルが十数枚。台所の布巾・ハンケチ代りの半サイズタオルが十数枚。猛暑下にはジャケット代りだったボタンダウンシャツが三枚。あとは肌着のシャツとパンツと靴下が合せて二十余枚。そうとう嵩ばってはいるが、乾燥機三十分でなんとかなる連中ばかりだ。
 それに今夜のゲスト。暖簾と頭陀袋である。