一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

秋には秋の



 朝、池袋方向。

 わがパソコン・コーチにご指導を仰ぎ中だ。活用してこなかった機能の習得についてではない。今さら教わったところで、新たに身に着くはずもあるまい。必要に応じて教わった現在の初歩的機能が維持されれば、不満はない。
 懸案は、新台購入と関連機材の選定についてである。

 わが愛機は A 機 B 機とも、分際に過ぎた能力をもつ(らしい)ノート型パソコンだ。それらに諸ケーブルを接続して、デスクトップ型のように使ってきた。つまりわがデスク以外の場所で操作したことがない。スマホを所持しない身だから、外出先で入力したことも、送信・受信したこともない。
 この夏、そういう環境にたいへん不便を感じた。あまりの暑さゆえ、日昼のパソコン作業をいたしかねた。なにせエアコン設備のない家である。風通しに細心の注意をはらい、昭和扇風機は小一日首を振り続けてくれた。日に四度も五度も、浴室で冷水シャワーを浴びた。が、それでも対応しきれなかった。
 やむなく涼を求めて外出した。喫茶店をハシゴし、移動には道路を歩かず百貨店内を通過した。目的地まで鉄道でわざと遠回りした。読書時間は確保できたし、ノートと鉛筆によるいわば下書きメモ作業は、かろうじてできたが、そこまでだった。

 喫茶店では要所にコンセントが設けられ、テーブル上や壁に向いたカウンター上で、なにやらパソコン作業中の客を、じつに数多く視かけるようになった。リモート就業だろうか。携帯電話を耳に当てたまま画面を覗き込んでいる人もある。ズーム会議というのか、テレビ電話のように画面に話しかけている人もある。
 映画を観たり、音楽を聴いたりして、寛いでいる人もあるのだろう。

 当方は今さら、多忙を極める社会人の物真似をしたいわけじゃない。外出先でも文案作成や入力ができて、その結果をマザー機たるわが A 機と共有できさえすればよろしいのだ。つまり分際に過ぎた高機能でなくとも、操作容易なノート型パソコンが欲しいのだ。それにコードレスのイヤホンがあれば、十分である。
 視聴するさいにはジャックを A 機 B 機に刺して、ケーブル付きのものものしいヘッドホンで両耳を覆って作業してきた。思えば大時代な姿だ。この夏は、耳たぶの内側にアセモができて、困った。
 にもかかわらず猛暑期間中には、対応を考えることすら面倒くさかった。われに返ったように今から思えば、よほど心身消耗していたのだろう。


 夕、練馬方向。

 私にとって秋は、健康診断の季節だ。暑いさなかには目立たなかった血圧が、気温の低下とともに上昇傾向となる。急に暑くなる梅雨どきも要注意だが、急に涼しくなる秋深まるころは、もっと要注意なのだ。ご無沙汰続きのホームドクターのもとへ参上すれば、なにかしら躰の不具合が発見されることだろう。
 不具合が発見されれば、治療・療養ということになろう。場合によっては検査入院だの、本格的に入院加療という最悪の場合だって、ありえぬわけではない。
 そんなとき、パソコンはどうするか、という問題なのである。

 病棟で電子機器などもってのほかであるのは、申すまでもない。しかし院内のロビーには、銀行ATM や院外との通信用のパソコン設備がある。また各フロアの休憩ソファや公衆電話がある近辺には、そこだけパソコン仕様が許されるという一画がある場合が多い。過去の入院経験のさいに確認済みだ。
 そんな場合にも、最低限の入力および送受信手段を確保したい。ノートパソコンが欲しいなァ。子供じみた要求のようながら、これはこれで老人による秋の欲望である。