一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

見舞い



 メンチカツ、ベーコンチーズ、ツナサラダ。カウントしているわけではないが、選択頻度一位・二位・五位くらいの組合せだ。まず三役揃い踏みといったところか。

 外出予定がある。用件や買物がいくつも重なっている。時間が惜しい。どんなに簡単な食事で済ませようとしても、自分で台所をするより、町内の名店ベーカリーの行列に並んだほうが早い。
 用件は散髪と銀行ATM だ。セブンイレブンで公共料金を支払ってしまう手もある。買物は八百屋とサミットストアとビッグエーとダイソーだ。ダイソーに気に染む商品が見当らなければ、池袋へ出てロフトか「紙のたかむら」を覗かなければならない。

 仲間から電話が入った。共通の古い飲み友達が入院したとの連絡だ。肝硬変から静脈瘤破裂を起したという。最悪の事態も想定されぬではない、重篤な状態だという。私や仲間よりは十五歳以上も齢下のはずなのにと一驚した。
 すぐにでも飛んでゆきたいが、養生第一の緊急事態だろうから、いたずらに騒いでもよろしくない。周囲に事情を問合せながら、ご迷惑でないようなら見舞いに伺うということになろう。
 恥かしながら、のし袋や菩提寺さまへのお布施や、ご本尊にお供えていただく納め紙の手持ちはあるものの、お見舞い用に適当な紙の持合わせがない。地元のダイソーで間に合わなければ、池袋である。

 
 またしても彼岸花かと云われそうだ。年にほんのいっときこの時期にだけ、すこぶる目立つ恰好で開花するために、ついつい眼を奪われる。
 来年の開花時をこの眼に視られるとは限らない。かなり怪しい。老人にとって、年周期で推移する動植物への想いは、深刻である。若い自分には、思いも寄らなかった。
 他に先駆けた第三球根群は、もはや満開だ。詳細に観察すれば、第一花などはすでに盛りを過ぎて、萎びる過程に差しかかっているようにすら見える。
 第六球根群は、今が絶頂期である。後続の芽も伸びてきそうな気配だが、まだ頭をもたげてはいない。

  NHKラジオ深夜便」は曜日によって大阪局をキーステイションとする「関西ラジオ深夜便」となる。自然と西日本リスナーからの投稿が多くなる。彼岸花についての報告があい次いだ。例年なら秋の彼岸には開花が観られたもんだが、今年は遅かった。一週間遅れて、今が観ごろだといった報告が続く。
 残暑が長引き、彼岸花の球根たちもなかなか秋の到来を感知しなかったのだろうか。それとも今年も風雨にたたられて、西日本の彼岸花は痛手をこうむる傾向にあったのだろうか。
 東日本の傾向についての情報は耳にしていないが、拙宅に限っては、例年とたいして変らない。秋彼岸にはまだ花の素振りも見せず。その後、一気にやって来る。今年もまだ、これからといった株もある。


 第四・第五球根群はあまり距離が離れていない。しかもいずれも小型球根群だから、例年ながら茎の数も少ない。後続部隊もあるのやらないのやら。ただし球根群の外縁はしっかりしているので、将来たくましくなってゆくだろうとは期待できる。繰返すが、私がそれを観られればの噺である。


 かくして第三から第六球根群までの、通路縦列である。
 第一・第二は、まだ花芽をもたげて来る気配すらない。遅れているのだろうか。それとも地中になにか異変でもあって、対応に悪戦苦闘中なのだろうか。
 大きくなり過ぎた球根群を二分割して植え替えたりもしたから、今年の花は休みかもしれない。花を成して他所への発展を期するよりは、まずおのれの身を固め、切口を再生させることを優先する、防御的一年と肚を括っているのだろうか。
 見舞ってやりたくはあるが、当方には手立てがない。