一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

これでも縁起



 今日はこれから、不愉快な外出だ。

 無意味な外出ではない。この先に影響が残る。ただ私としては、今さら為すべきこともない。首根っこを洗って、沙汰を聴きに出向くだけのことだ。
 いつもの縁起かつぎをしたい。が、あいにくベーカリーは定休日だ。かつパンを買えない。朝っぱらから、自分でなにかを揚げる気にもなれない。
 わが半生を振返って、いくらかなりとも幸運に恵まれていたと想い起せる時期に、自分はなにを食って過していたかと記憶をたぐった。
 味噌汁を冷や飯にぶっかけ、あり合せの惣菜とともにそそくさと掻っこんで、今日もいろいろ予定が詰っているわいと心急く想いで出かけていった、あの時期だったろうか。味噌汁の残りなどというものは、今日はない。というより、なにものも一人前しか仕立てぬ現在の食生活では、残りようがないのだ。代りに、味噌おじやにでもするか。


 若布と玉ねぎとを出汁で煮る。煮立ったら解凍した小分け飯を入れて、崩し馴らしながらさらに煮る。
 具にこだわりはない。これこそが真向きという食材の、あり合せがなかったに過ぎない。人参やじゃが芋では煮え時間が面倒だし、効果も期待薄だ。あの時代は、油揚げや厚揚げがお気に入りだったような記憶がある。
 玉ねぎに火がとおったら、ウインナソーセージを一本、五ミリ角ほどに細かく刻んで放りこんだ。

  
 味噌を差す。ご経験おありのかたにはご同意いただけようが、これは邪道である。前夜の残り味噌汁と新たな味噌仕立てとは、同一ではない。ここは本来、残り味噌汁でなければいかんのだ。しかし今は事情が許さない。
 味噌を均等にのばしたら、玉子を一個、よおく掻き混ぜてから溶かし込む。これでできあがりだ。式年鍋換えによって新春から、一年ぶりに再登場した鍋にとっては、目立つ仕事だった。
 冷ましを兼ねてやや蒸らしてから、どんぶりに移す。擂り胡麻と海藻の粉とを振りかけて、膳に載せる。

 いじましきこだわりだ。いや違う。いじましきことだからこそ、こだわる。