
せめてせめて、せめて手入れの行届いた余所さまのお屋敷の花を、眺めさせていただこう。
信用金庫の私の口座に、保険会社から大金が振込まれてきた。拙宅が見舞われた「もらい交通事故」の弁償金である。私の取り分などない。はなからそのつもりだった。全額が後始末にご尽力くださった工務店さんへの、遅れに遅れた支払い分である。つまり大金は、即日わが口座を経由して出ていった。
事故に見舞われたのは、昨年の四月五日の正午過ぎだった。運輸会社の大型トラックの荷台最上部が、拙宅の桜の老樹に衝突したまま強引に突っ切ろうとして、老樹をへし折った。委細は省くが、巨木の始末と、巻き添えを喰って歪んでしまったブロック塀の解体とを、とある工務店さんがご担当くださった。かねてより存じよりの工務店ではない。送電線の安全確保のため現場出動してきた東京電力が、依頼してくれた工務店さんだった。
目白警察署の初めは交通課、やがては防犯課からの、即日もしくはできるだけ速やかにとの指導(命令)により、工務店さんは真摯にお骨折りくださった。年度替り早々の繁忙期に、職人衆や重機搭載車輛や特殊発電装置などの手配が容易ではなかったろうことは、素人眼にも視てとれた。
運輸会社からはなんの挨拶もなかった。それどころか、拙宅の桜樹が交通妨害したから、トラックの修理費を弁償しろと、保険会社を通して云ってきた。冗談じゃない。植木職の親方と相談しつつ、毎年枝打ちしてきたのだ。交通妨害の枝など道路に張出してはいない。先方が大型車輛にあるまじき、塀ぎわいっぱいを通ろうとしたのだ。
過失責任割合は先方6:当方4だという。後日再連絡があって、先方4:当方6に変更してきた。いずれも一度とて現場を視にすら来ない保険会社社員からの電話連絡だ。話にならぬと、突っぱねた。事故の評価というものは、見積書の金額が明らかになるにつれて変ってゆくものなのだろうか。
保険会社は匙を投げたものか、先方窓口は弁護士に代った。初めて書面が来た。過失責任割合は先方3:当方7だという。無知な老人とあなどってか、だんだん押してくる。ついてはコレコレの金額をコレコレの口座に振込めと書いてあった。
会ったこともなく、名刺一枚ハガキ一通受取ったでもない相手から指定された口座に大金を振込みでもしようものなら、目白警察署の防犯課から叱られてしまう。あれほど口を酸っぱくして、独居老人相手の詐欺に注意せよと指導したではないかと。
簡易裁判所による「調停」の場に持込まれた。面白えじゃねえか。裁判所って処を観てみようじゃねえか。調停委員ってかたがたに会ってみようじゃねえか。先方は、どうせ運輸会社も保険会社も陰に隠れて出て来やしまいが、代理人の優秀な若手弁護士とやらのご尊顔を拝んでみようじゃねえか。こちらは視てのとおり、丸腰の老人一人だ。逃げも隠れもせんわい。
書簡や電話で、SNS をとおして、さらには当日記をとおして、お励ましをいただいた。いずれもありがたかった。ご支援を申し出てくださるかたもあったが、この件は独りで対応すると、始めから決めていた。足元も記憶力も怪しい私の健康を気遣ってくださる、ごく近しい数名のかたのみと、裁判所へ同道した。
調停による、過失責任割合は先方75:当方25で和解した。これ以上粘って裁判にでもなれば、工務店さんをさらにお待たせすることとなってしまう。とにもかくにも、老樹の始末と塀の解体とに実働(実費)をご提供くださった唯一のかたへの、申しわけが立たない。
先方はしょせん、車輛保険で穴埋めできよう運輸会社と、わが国を代表する巨大保険会社の末端社員と、調停結果で馘首もされなかろう弁護士である。自営業の小規模工務店さんとでは、切実度も重みも段違いだ。同じ百円硬貨だとて、この百円とあの百円とでは重みが異なるという道理は、わが会社員時分にも下請けライター時分にも、痛いほど感じてきている。
運輸会社も保険会社も、ただの一人として、今にいたるまで顔を見せてはいない。
保険会社からの送金はあった。すでに発生した実働費用は全額お支払いできた。事故に見舞われてより十か月、見積書拝見から九か月以上経っている。じっさいに汗を流したかたへの正当な報酬が滞っていることは、なによりも心苦しかった。
ただし過失責任割合による相殺とかで、当方主張から25%を値切られたし、おまけにトラック修理費とやらの25%を負担させられた。かろうじて工務店さんへのお支払いはできたものの、原状復帰は果すべくもない。この季節の正午の陽光は、お向うのマンションに遮られて、事故現場を暗くしている。「只今工事中」の金網フェンスは今もそのままだ。
ともあれ一段落ではある。花は余所でも観られよう。今宵は酒を飲む気になっている。