一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

肉眼ズーム



 錦糸公園の入口から、北のかたを視あげる。スカイツリーが巨きく見え、迫ってくるようだ。思わずシャッターを押した。画面にしてみると、前景中景のかなたに、落着いて整然と立っているだけだ。
 肉眼が、咄嗟にズーム操作をしたのだろう。心が肉眼を自動制御しているのだ。丸まると見事な満月に胸を衝かれて思わずシャッターを押してみると、空のかなたにポチッと明色の小丸が写っているだけで、拍子抜けすることがある。あれと同じだ。

 小雨もよいの、寒い日に錦糸町を歩いた。裁判所からの出頭要請の日だ。


 今春四月初旬のこと、とある運輸会社の大型トラックが拙宅の老桜樹の枝に衝突し、強引に突っきろうとして桜樹をへし折った。傾いた樹がブロック塀に寄りかかって、塀を歪ませた。加えて電柱から拙宅への引込み電線にも引っかかった。
 目白警察署からは、事故調査する交通課のほかに、塀の危険性を調べる防犯課が出動してきた。交通整理や現場調整を担う地元交番の巡査たちもいた。また東電からは、調査班のほかに、まさかの事態に備えて関連会社の工務技術チームが駆けつけてきた。
 入れ替りたち替りつねに二十人をくだらぬ捜査員たちが活動して、現場はごった返した。衝突が昼の十二時二十分ころだったから、午後一時から二時台がピークだったろう。わたしの気持ちなどにはおかまいなしに、すべては警察の指導下に、東電と関連工務店との活躍のうちに進行し、その日のうちに巨木は姿を消した。塀から門柱一帯には、警察の手で接近禁止のピケライン・テープが張り巡らされ、私自身もテープをくぐって拙宅への出入りをしなければならなかった。数日後には、工務店が出動してきて、ブロック塀も消えた。

 運輸会社の代理人と名乗る保険会社が連絡してきて、拙宅の桜樹が交通妨害して、トラックを傷つけたから、弁償しろと云ってきた。樹木の管理責任を、私が怠った故だという。
 冗談じゃない、弁償して欲しいのは当方だ。植木職の親方と私との相談で、樹形の管理にはことのほか注意を払ってきた。通行者から苦情を受けたことはない。警察交通課から指導・忠告を受けたこともない。隣接する運輸会社の駐車場からは大型トラック五~六台が毎日出庫して拙宅前を通過してゆくが、一度としてその運輸会社とトラブルを起こしたためしはない。
 先方は現場を訪れることすらせずに、ドライブレコーダーの記録映像のみを証拠に、私の管理不行届きを指弾する。詳細は避けるが、事故車輛の走行路が異常だった旨を、私は現場の細かい事実を積みあげて論証する。ついには保険会社も匙を投げて、代理人が弁護士へとバトンタッチされ、案件は調停の場に持ち込まれ、裁判所からの出頭要請を受ける運びとなったのだった。


 調停とは、裁判ではない。ことの真相を明らかにする場でも、裁定をくだす場でもない。歩み寄りの示談・和解の方途を探る場である。事前に書面で知らされてあった。むろん熟読したつもりではあった。にもかかわらずどうしても、私の口調は事実を述べ、真相をご理解願いたいとの口ぶりとなってしまう。いかんいかん、それは裁判であって、これは調停だと思い直すのだけれども、またぞろ真相究明を願う申しようとなってしまう。事故当日の現場の様相へと、私の意識はどうしてもズームしていってしまう。

 またひとつ社会勉強をさせてもらった。寒い日だった。