一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

わずかに鳴く



 ひばりヶ丘からの帰路、神社脇のゆるい坂道をゆく途中で、あまりの静寂に胸を衝かれ、しばし立ち停まった。

 蝉の鳴かない夏だった。猛暑期となっても、鳴き始めなかった。旧盆を迎えるころ、ようやく鳴き始めた。例年とは比較にならぬ音量だった。蝉時雨だの、蝉の声が土砂降りのごとくに降り注ぐだのといった形容には、およそそぐわなかった。
 この時間、陽が傾いたとはいえ、暮れたというほどではない。盛んな年であれば、まだ鳴きやまぬ時間だ。静かだ。風もまったくなく、物音ひとつない。不気味ではないのだろうか。人さまは、怖くはないのだろうか。

 蝉だけではない。草むしりの行届かぬ拙宅の雑草草叢にすだくコオロギの鳴き声も、例年とは比べものにならない。つい数日前まで、一匹の鳴き声しか聞えなかった。夜ごと同じ一匹が鳴いていたのか、日替りで別の一匹が鳴いていたのかは知らない。個体別の鳴き声の違いを聴き分けるコツを修得されたかたがあるなら、ぜひともご教授願いたいものだ。

 あい変らず日本のどこかでは、線状降水帯による豪雨被害が出ているという。外出直前の気象予報によれば、東京は今日も晴天ではあるものの、コンピュータによる雲行き予想では、午後九時ころに小さな雨雲が東京上空に短時間現れるとのことだった。それまでには帰宅できようからと、高を括って出かけた。つまり雨具を携帯しなかったし、侵入犯の恐れなき場所の窓は開け放したままにした。
 むろん雨に降られることなく、予定どおりに帰宅できた。デスク作業に気を取られていたら、オヤッという音に気づかされた。玄関へ出てみると、果せるかな雨だった。風は皆無で、いずれの方角の窓からも吹きこまれる心配はなさそうだ。静かにまっすぐ降る、行儀の好い雨だ。待望のお湿り、という感じだ。午後十時二十分。気象予報とは少し時間がずれたものの、コンピュータによる雨雲予想ってのは当るもんだなあ、なんぞと感心した。

 雨はほどなく上り、静かな深更。コオロギが鳴き始めた。今夜は一匹ではない。現金なもんで、コオロギたちにとっても待ちわびた「お湿り」だったのだろうか。音量や間合いの癖を聴き分けようと意識集中してみると、四匹五匹は鳴いている。もっとかもしれない。音色の違いを聴き分けられない。雌雄の別を考えれば、だいぶの個体数が棲息していることになる。

  
 今年の春はかなり計画に沿って漏れのない、気合の入った草むしりをした。幼虫たちにとっては受難の年だったかもしれない。それでもしばらくは一匹、ここへ来ていく匹か鳴き始めた。が、彼らにはこれから生涯最後の受難が待っている。
 わが方としてはできるだけ早く、秋の草むしりを始めねばならない。今雑草をむしることは、虫たちの住処を壊滅させることになるのだがと、たしか昨年もかすかに心が痛んだのを思い出した。当方には当方の事情も手順も生存形態もある。虫たちに対しては諸行無常を強いることとなる。

 一は玄関前から西の元村ストーン方向。陽当りも風通しも良好ではあるが、頻繁にむしる一画だから、もはや柔らかく俊足な草しか生えてこない。虫たちにとって渉猟地域とはなりえても、安心安全の住処ではありえない。
 二は建屋西の塀ぎわで、陽当り風通しとも半分の一画だ。かつてはたくましいフキの群生地だったが、数年かけての大戦闘により、今やフキは生残りていどとなった。が、日ごろ草むしりの回数が少ない地域だから、たくましく図々しい連中が幅を利かせる。虫たちのコロニーにはうってつけだ。
 三は北西角で、風通しは良好だが陽当りは不十分だ。かつてオニアザミとの死闘が繰広げられた一画だ。西から領土拡張してくるフキ群と、北一帯に跋扈したシダ類その他雑多群との抗争最前線でもあった。人眼に着かぬ一画だからと草むしりを怠ると、ヤブガラシの支配地域と化してしまうし、セイタカアワダチソウもどこかから飛んでくる。とにかく軍手を駄目にしやすい一画だ。

 近ぢかこの三方面を掃討しなければならぬのが人間事情だが、虫事情から眺めれば、まさしく驚天動地たる環境破壊の危機が迫っているということになる。