
宵の口ころ、神社脇の道を通ると、興味深い。さっきまでは蝉が鳴いていたのに、今はコオロギが鳴き始めた、という潮目の変りがあると見える。双方混在の時間帯があるものか、一瞬途絶えるように双方鳴かぬ時間帯があるものか、確かめたことはない。ほんの数時間の違いで、昨日と今日とでは鳴く虫が異なると、気づかされたまでのことだ。
少し前から、残暑お見舞いを頂戴する頃おいとなっている。暑さのぶり返しはまだあるとしても、昨日今日はにわか雨の効果もあってか、いくぶんしのぎやすい。この夏の総括、というような考えが頭に浮ぶ。
今夏は、ミミズの行倒れを視なかった。昨年も一昨年も、日記に書いたものだったが。
地熱が上昇し過ぎたものか、食糧・水分の量だの雑草の根の張り具合だの、地中環境に堪えがたい問題が発生したものか、はたまた繁殖が過ぎてミミズ密度過多となったものか、新天地へと決死の移住を企てるミミズがある。大半は移住に成功したのだろう。なかに跳びぬけて冒険的な阿呆ミミズのいく匹かがあって、次なる楽園を夢見て途中のコンクリート箇所を横断しようと図る。ところがコンクリートはさように甘くはない。灼熱砂漠に屍を晒すことになる。
鴉ほかの雑食鳥が片づけてくれればよろしいが、彼らとて活動時間は夜明け直後が夕方だ。炎暑さなかのコンクリート上の小動物なんぞは、目こぼしされることがある。そういうものだけが、私なんぞの眼にも入る。せいぜいが蟻の餌だ。その蟻だとて、亡骸全体を解体して巣に持帰るわけではない。エキスを吸うのか、それとも特定の養分だけを持帰るのか。干からびかけたミミズの亡骸は、その場に残される。結局は私が掃除することとなる。
この夏、行倒れを目撃しなかったのは、地中環境がよろしかったからではあるまい。たぶん個体数が減少傾向にあるのだ。思えば草むしりのさなかに、根の深い草と出くわして、鎌やスコップの世話になったさいに、図らずもミミズの寝込みを襲ってしまう事例が少なくなってきた気がする。
今夏は、拙宅周囲で油蝉が鳴かない。人間の眼からは面積とも土地とも思えぬ通路や隙間でさえ、蝉の幼虫にとっては立派な生存空間だったことだろう。最後のひと夏は地上へ出て、世代継承の大役を務める気でいたことだろう。が、出て来てみたら、先祖代々頼りにしてきた桜の大樹が影も形も見えなくなっていた。
桜の幹も枝も硬い。表面がざらざらしている。樹形が不定形で傾斜や湾曲も多い。古くに枝を払われた痕がコブ状になって、いっそう足場が多彩だ。この時期は葉の繁りも豊かだ。蝉が休らい、交尾者を求めて鳴き交し、生涯最終の一週間を過すには、もってこいの樹木である。
いく十世代にもわたって、この樹を最期の舞台としてきた蝉の一族にとって、この夏は当て外れだったことだろう。地上へ出てきてはみたものの、え~っ、聴いてねえよぉ、と面喰う気分だったことだろう。
おりしも筋向うの音澤さん邸でも、建替え新築工事が完成し、ネズミモチやピラカンサをはじめとする中高木類がいっせに姿を消した。蝉たちは、どこまで飛んで行って、鳴いたのだろうか。
毎年神社より遅れるが、九月に入りでもすれば、拙宅でもコオロギが鳴き始める。が、これも今年は例年以下となる気がする。草むしり一回の丁寧さよりも回数を重視して、目立つところは春先から数えて大雑把ながら三回もむしった。オニアザミの幼株など、成長されては厄介な相手については、スコップで掘起すなとして、かなり執拗に対処した。つまり地表のみならず、地下十センチほどについては、かなり卵たち幼虫たちをお騒がせしたことになる。
問題は建屋西側の、コインパーキングとの境界塀との通路で、ネズミモチの小切株ひとつとフキの群生地帯である。ここは本年の草むしりまだ一回で、現在そうとうに繁茂している。が、猛暑が峠を越したようであれば、近ぢか踏込むつもりでいる。もうちょっとだったのにぃ~、とコオロギたちには恨まれるかもしれない。
だがコオロギたちよ、カネタタキたちよ、憂うるには及ばない。北側の境界フェンス一枚向うは区立児童公園で、拙宅なんぞより遥かに豊かな植込みがある。土質も比べものにならぬほど良い。ただし注意せよ。その地を管理している人間たちは、私ほど手ぬるくはないぞ。

ベーカリーへ買物に。行列の絶えぬ地元人気店だ。買物ついでに回覧板をお届けする。九月七日八日の祭礼についての確認事項だ。女性ご店主は私と同齢で、いつでもだれにでも笑顔以外を見せたことがない人だが、年寄り同士の挨拶となれば、もう祭の回覧板の季節になったかねぇ、という噺になる。
今朝はベーコンチーズとアップルデニッシュ。メンチサンドは撮影前に食い了えた。
店の入口に、金属の手すりが設けられた。つい先日と思っていたのに、すでにひと月近く前からだという。店内から往来へのほんのひと跨ぎが、気づかぬほど緩く傾斜していて、雨の日に老人客が滑って救急車騒ぎになったそうだ。さいわい大事にはいたらなかったものの、お客さまはもとより、ご店主もさぞや怖かったことだろう。
わずかひと跨ぎの傾斜だから、さすがにここは経験がないが、セブンイレブンでもビッグエーでも、スッテンコロリンと尻もちを突いた経験は私にもある。若者には無用の長物と見えるにちがいない、それどころか自由な出入りの邪魔とすら感じられなくもない鉄製の手すりも、年寄りには親切というものだ。即座に対応するのが地元名店である。