一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

たった七十年



 深夜に降り始めた雨が、大雨とはならなかったもののそのまま降り続き、夕方に止んだ。涼しい一日で、助かる。家でじっとしている。
 そうなればなったで、稲の作柄には障りがないか、葉物野菜は大丈夫なのかと、生産に従事した経験もないくせに、気がかりになる。生意気なもんだ。

 わが町に一棟だけ、高層マンションがそびえている。住人だと名乗るかたと、顔を合せたことはない。異なる生活サイクルのかたがたなのだろう。
 西武線池袋駅のホームから地下改札口への階段をくだろうとすると正面に、内からの光線に派手な色彩を放つ大きな広告板が、いやでも眼に入る。わが町の高層マンションだ。青空にそびえる全景の写真が、近未来の宇宙都市のようだ。
 半年も一年も掲げられっぱなしだということは、今でも入居受付中なのだろうか。それとも市場価値や評判を維持するために、取引き不可能でも広告だけは続けているのだろうか。
 わが町の駅周辺や商店街界隈には、再開発の噂が絶えない。西武鉄道や開発会社や不動産会社による巨大な思惑が、激しく交錯しているのだろう。地べたのわれら平民の耳目に届かないだけだ。十年後二十年後には、今そびえているマンションが目立たなくなるほどの景観を呈するようになるのだろうか。
 京王プラザホテル一棟だけが弧峰のごとくにそびえていた、新宿駅西口から視た風景を、今でも憶えている。孤峰状態がなん年かあってから、住友三角ビルが建ち、三井青ビルが建ち、さらになん年かして変な双子ビルが建って、都庁が引越してきた。
 サンシャインシティービル一棟だけが孤峰のごとくにそびえていた、拙宅物干しから視た風景を、今でも憶えている。孤峰状態がかなり続いてから、周囲にあれこれが建ち始めた。今では拙宅東方に高層ビル群が遠望でき、サンシャインはそのうちの一棟に過ぎない。

 町は、そこで活力をもって暮す住民がたのものだ。もちろん新たなご商売人や、この町で子育てなさる新住民がたをも含めて。そのかたがたのご都合と、意思と美意識とによって、いかに変貌してゆこうとも、老人が口出しする筋合いではない。当りまえだ。
 ただ、ここはこんな町だったんだがなァと、後ろを向いて呟くくらいは許して欲しい。けっして人に聴かれる声は発しないから。たとえば――。

 仕舞屋に、シャッターが降りている。この場所にはかつて、帝国銀行の支店があった。ある日、保健所職員を装った男が来行して、疫病予防の消毒薬と偽って毒を服ませ、十二人の行員を殺害して金を奪った。昭和二十三年(1948)のことだ。
 犯人とされた男には死刑判決がくだったが、終始一貫無実を主張。刑は執行されぬまま、男はその後の長い生涯を獄中に暮した。真相は、今もって謎だ。


 わが町の神社は、近在の末社を統括する格付けの社で、今も九月第二週末の祭礼には、歩こうにも身動きとれぬほどの賑いとなる。少し離れた隣町の落合に育たれた泉麻人さんも、幼少期にはここまで遊びに来られたそうだ。

 江戸時代には安産や子育ての守り神として、庶民の信仰を集めたらしい。が、ご多分に漏れず明治時代となってからは、神仏分離の政策からお隣の金剛院さまとは切離され、国家神道の一翼を担う役割を果した。
 大鳥居の脇の、いわば門番の位置には「御大典記念」の石柱が立っている。「公爵近衛文麿」と彫られてある。大鳥居をくぐった先には「日露戦役記念」の平べったい大石碑が立っている。「元帥公爵山縣有朋」と彫られてある。裏へ廻ると、日露戦争へと出征した当村民の名がビッシリと彫られてある。近衛が、また山縣が、好きだ嫌いだという問題ではない。そういう村だったのだ、ここは。

 境内の目立たぬ隅っこには、参道の眼の前に鉄道駅ができた経緯が彫られた石碑が立つ。現在でこそ駅前に神社があるなんぞと人は云うが、鎮守社の鳥居前に鉄道が敷かれ、あまつさえ駅ができるなどということは甲論乙駁、村民意を二分する大問題だった。骨を折る人があり、生涯を賭ける人があって、年月をかけて駅開設へと至った。その経緯が固有名詞つきで彫られてある。

 拝殿の両脇には袖社が祀られてある。片方はお稲荷さまであり、地元でご商売なさる住民が商売繁盛を祈願に訪れる。もう片方の社の前にはこの地から第二次世界大戦へと出征して還らぬ人となった御魂が祀られ、小鳥居の脇には忠魂碑が立っている。
 日本の近現代史をどう考えるかの問題ではない。そういう先祖が、また先住民が住んできた土地なのだ、ここは。
 幾多の地層が積み重なるこの地で、かすかな表層をなす七十年ほどを、私はこの町に住んだ。そして十年後二十年後のこの町の風景については見当もつかないと、しきりにうろたえている。


 うろたえたところで、なにができるわけでもない。
 一年中カボチャを食う男を自称しながら、しばらく間遠だった。それではならじと、数日前に川口青果店に寄った。間遠だった心理的理由を考えると、どうやら歯応え口触りが、猛暑向けでない気がしていたらしい。だったらその点を中和させるには、と考えて、玉ねぎをスライスして大量に食うことにした。
 家に籠って自炊するぶんには、べつだん町の変化にうろたえることもない。