一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

スローウォーク

 小説家志望の若者に、歩く速度のギアチェンジを練習しておけと、勧めることがある。スローライフの必要、なんぞという高邁は問題ではない。文士たらんとする者が身につけるべき、いじましくも必死な手管のひとつだ。行く手に立話する人が眼についたら、不自然なきよう手前から速度を落して通り過ぎるという心がけである。
 立停って盗み聴きせよというのではない。それは犯罪だろう。そうではなくて、通りすがりに、ふと耳に入った片言隻句を大切にせよというまでだ。前後の脈絡も判らず、なにについての話なのか、話題も知れない。けれど、いやそれだけに、想像力を掻き立てられるひと言を拾うことがある。

 買物途中の主婦(らしき人)ふたり、なんてのは大好物だ。町内会の世話役だとか、PTA役員なんて人だったら、豪華ディナーといえる。

 昭和の初めころ、円本ブームという日本出版史上のエポックがあった。全巻一括予約販売を原則とする全集物の大流行。火を点けたのは改造社版『現代日本文学全集』である。その広津柳浪の巻に、広津和郎が解説的回想文を寄せている。ほんの短い文章だから、全集にも収録されてはいなかろう。

 子どものころ和郎は、父に手を曳かれて散歩に連れ出されるのが大好きだった。明治三十年前後とすれば、広津家は牛込矢来町、今で申せば新潮社の一本裏道にあったから、大久保通りから筑土八幡、あるいは神楽坂上あたりを歩いたものだろうか。
 当時は町内に共同井戸が掘ってあって、おかみさんたちが文字どおりの井戸端会議をしている。父子はそこを歩いて通り過ぎるわけだ。
 「そんなとき父は、だいぶ手前から、ゆっくり歩いた」と、広津和郎ははっきり書いている。文士である父の次男坊が、たまさか将来やはり文士となってしまうような子どもだったために、この証言が残った。

 ところで我が町内のビッグエー前や、セブンイレブン前では、相手もないのに独り大声で話している人を視掛ける。ありゃ何だ?