晩年の広津和郎は、松川裁判が不当裁判ではないかとの疑いを抱き、検証・批判に全力を注ぎました。
刑法議論をしたのではありません。あくまでも文士らしく、第一審・第二審の判決文や裁判記録の微細な矛盾をも見逃さずに、克明に読込むことをとおして、捜査陣や検察側の隠れた心理をあぶり出していったのでした。助動詞・助詞の意図まで読み取ろうとする、凄まじいまでの吟味です。
検証・批判は雑誌『中央公論』に、じつに十年以上も連載されました。
松川裁判は、次第に世論の注目を集めるにいたり、冤罪ではとの疑いを抱く人が、増えてゆきました。
最終的には、第一審で死刑を含む重刑判決を受けた、二十人近くの被告たち全員の、無罪判決が確定しました。
この時期の広津和郎は、通風が悪化して独りでは歩けないほどの体調でしたが、松川の被告のためになるならと、講演要請も揮毫要請も、けっして断りませんでした。
拙宅逗留中の書と、まったく同じ文言の書を、他所でも観たことがあります。求められるまゝに、何枚も書いたものでしょう。うちの一枚が、拙宅にご逗留中です。