一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

己惚れ

 文学・芸術志向が強い若者たちの話し相手という仕事をしていると、自主映画を撮影するので協力してほしいとの、依頼を受けることがある。
 あるとき、役者として出演しろとの依頼があった。私をイメージ・キャストとして、台本を書いたという。立場上、若者の積極的(冒険的)活動に対しては、原則として協力するのが筋というものだ。脚本を読ませてもらった。

 忍者ものだった。江戸中期、もはやお庭番(諜報部隊)が活躍する軍事の時代から、官僚主導の政治の時代へと移り、忍者はほとんどお役御免の状態。隠れ住む忍者の里も、めっきり寂れてきている。新しい道を切り拓こうと、村を出たい青年がある。それを許さぬ村の掟がある、青年には恋人がいてその親は、というような噺だ。
 新時代の到来を承知しつつも、伝来の掟を代表せねばならぬ長老、というのが、私に振られた役だった。そのちょいと前に、文春文庫で、津本陽さんの忍者小説の巻末に解説を書いたばかりだったので、監督にはイメージの連結があったのかもしれない。

 若者には協力すべきだったが、よくよく考えた末に、丁重にご辞退申しあげた。理由はふたつあった。
 ひとつは、まだ五十代だった私は、今よりも二十キロ以上も体重があった。いかに現役お庭番を引退して長い老人とはいえ、もとは村一番の忍者だ。デブはまずかろう。さりとて撮影は夏休みというから、クランク・インまで三か月。世界チャンプを狙うボクサーじゃあるまいし、決死の覚悟での減量なんぞ御免こうむりたい。
 もうひとつの理由は、脚本に納得できぬ箇所があった。前途有為の若者を厳しく諫め、その芽を摘みながらも、独り物陰で密かに涙を流す、というのである。胸中の矛盾は解るとしても、命のやりとりを半生の生きかたとしてきた老人が、ここで密かに涙を流したりするであろうか。納得できなかった。
 とはいえ、小説の教室では私の学生であっても、この映画では監督だ。現場では彼女に(あ、女子でした)絶対服従である。辞退やむをえなかった。

 出演依頼は、別の年にもう一回あった。こちらは蒸気機関車の役だった。むろん声だけだが。こちらも女子監督だった。
 ローカル鉄道に取材したドキュメンタリーで、まだ蒸気機関車が走っている。本体は健在だが、部品は生産中止になっているし、運転士も整備士も高齢化してきている。
 路線中にはトンネルもあって、そのたびに窓を開け閉めさせるのは、現代の乗客には気の毒。煤煙による各車体の汚れもひどい。会社方針としては、早晩全面電化の方向だ。しかし地元では子どもたちに愛され、大人たちに懐かしがられている。若干ではあるが、観光客を呼び込む力もある。
 これを老朽化した機関車の一人称ナレーションでやりたいというのが、監督の狙いだった。
 「なぁに、まだまだへこたれるもんじゃねえ。この鉄橋の先のカーブを曲るにゃあ、ちょいとしたコツがあるのさ。もとはと云やあこの鉄橋は……」
 という具合に、路線の歴史と沿線の魅力を、機関車が語るわけだ。

 企画も台本も、なかなかのものだった。しかし結果として、これもご辞退申しあげた。その理由があったはずだが、どういう理由だったか、今思い出せない。

 為さざる後悔と為したる後悔、という言葉があるが、忍者は無理でも、機関車は引受けるべきだったかと、その後思ったとはある。
 もちろん完成した両作品とも、大学祭での上映会で観せてもらった。これだったら、俺がやったほうが好かったかしらん。人間の己惚れとは、そういうものである。