一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

四日目

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 先般の長雨。こゝへきてからも、ふいのにわか雨。十分二十分の草むしりでも、軍手の指先が泥まみれになる。乾燥続きであれば、パンパンと土埃を叩き落すだけで済むものを、どうしても洗わなければならない。
 かといって、もとの白さに戻そうとばかりに、湯殿で石鹸を使ってゴシゴシ洗うのは、なんだかこだわり過ぎの気がする。いきおい、洗面所での水洗いで済ます。白さは戻らぬが、これが軍手というもの、という思いがある。

 ところが軍手というもの、あんがい乾きが悪い。翌日の草むしりまでに乾いてくれない。外の陽当りに干せればいゝが、あいにく風の強い日だったりすると、室内陰干しとなり、翌々日まで乾かない。ドライヤーを使うというのも、なんだかこだわり過ぎの気がする。結果として、一昨日、昨日、そして今日の分と、三組の軍手でなんとか回してゆくこととなる。
 さすがに四日目には、初日分がほゞ乾くのではあるが、老人は四日続けて草むしりなどするものではないという天の声かと、都合よく解釈して、連日の作業は避けている。

 高校時代のバスケットボール部OB会から、訃報メールが入った。八年先輩のかたが亡くなられて、時局ゆえ家族葬にて済ませたとの由。
 インター杯東京予選を三回戦まで進もうものなら、上下の学年に対して長く鼻高々でいられるような三流校だったが、この先輩だけは突然変異というか、掃溜めに鶴というか、大学進学後も体育会系の「部」に所属されて、リーグ戦で活躍された。いわば伝説の先輩だった。
 上級生になって現役を退かれてから、社会人となられるまでの短期間、コーチに見えてくださり、中学生だった私もご指導を受けた。(申し遅れました。中高一貫校です。)さすがに他のコーチとは、ずいぶん違った。

 報知新聞社に就職された。さて何年後だったか、こちらも酒が飲めるようになってからのこと。
 ――報知ってのはよぉ、雨四日は困るのよぉ。一日目の一面トップは「長嶋の休日」。素振りしてる写真さ。二日目は「王の休日」、三日目は「金田の休日」。雨四日となると、写真がねえんだな、これが。
 まだ東京ドームがなくて、後楽園球場だった時分。今は昔の噺である。

 それは本当に困られたのだったろう。
 それに引換え、私の「四日続けて」は恥かしながら、怠け者の自己弁護。それが証拠に、二十組一束の新品軍手が、まだ開封されぬまゝある。シミッタレの自己弁護でもあるか。