一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

立入禁止

 園児の良い子たち、ごめんね。今日はお昼ご飯まで、児童公園は立入禁止になりま~す。先生がたと、室内で遊んでくださ~い。

 重いものや巨きいものを吊上げたり、移動したりできる、頑丈そうなアームを搭載したクレーン車と、刈り取ったものを圧縮して詰込んでしまう収集車との二輌編成。つね日ごろ視慣れた、箒と熊手と塵取りによるシルバー人材センター風の歩兵部隊とはわけが違う。視るからに屈強な特殊機甲部隊の精鋭三名編成だ。
 ただならぬモーター音に、なにごとかと階段踊り場の窓を開けたとたんに、強烈なガソリン臭が鼻を衝いた。チェインソーが大活躍していた。幼児期のほんのわずかの期間、この匂いが好きだった覚えがある。小学校中学年ころからか、車酔いを経験するようになって、条件反射のごとくこの匂いが大嫌いになった。

 余花見すぼらしく咲き残り、散り敷いていたヤマブキの植込みなどは、ものの数分ですべて坊主にされてしまった。塀ぎわに居並ぶ照葉樹木類の徒長枝も、視るみるうちに刈られて、枝に絡み着いていた蔓草類もろとも、地に山をなしてゆく。梢は平になり、樹木自身が塀であるかのような恰好になっていった。
 あらかじめ作業行程が検討され、手分け分担されてあったものか、揃いのヘルメット着用に及んだ三人の戦士は終始無言のまま、とある作業を一段落させると手を休めることなく次の作業へと移ってゆく。首筋に寒気が走るほどの手際良さだ。

 植込みのなかに、丈三メートルほどのモチノキが立っている。拙宅の連中と親戚だろうか。いやまさか、公園の樹木が鳥に運ばれて偶然に芽吹いたものなんぞであるはずなかろう。意図して配されたものに違いない。
 いずれにせよ、これほどのモチノキの徒長枝を払い、丈を詰め、中枝を透かせて風通し好くしようと思えば、剪定鋏一丁での私の手作業では、一日一時間としてまず三日はかかる。それが、ものの五分足らずである。チェインソーの威力は凄い。職人さんの腕前も凄い。

 またひとつ、人生にあっての願望が産れた。チェインソーというものを、生きてるあいだに一度、回してみたい。二度も三度もは要らない。自分の粗忽な性格をよく承知している。少し慣れてきたころに、きっと大怪我するに決ってる。
 これだけは賢明だったと自分を誉めたい気でいる、ほんのいくつかの事柄のひとつに、車の運転に手を着けなかったことを挙げている。私のことだ。きっと人身事故か車を大破させる不届きを引起したにちがいない。車を運転しなかったことで、会社員としてはずいぶん損をした。が、それは仕方のないことだったのだと、自分では思っている。だからチェインソーも、一度でいい。

 さて、園児の良い子たち、お待ちどおさま~。遊べますよ~。まだ気づかないかもしれないな~。公園が床屋さんして、ずいぶん綺麗になりましたよ~。