一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ほっつき歩いた頃



 今はフィルムセンターとなっている、京橋の日本近代美術館で、新進気鋭の写真家たちを特集した「現代写真の10人」展があった。一九六六年の七月から八月へかけてだ。高校生にとっては、知らぬ名前ばかりが並んでいた。出展者最年少の篠山紀信という人が二十五歳と聴いて、あぁ、だんだん自分らと近くなってきたなぁ、と感じた。

 今プログラムを眺めると、その顔触れにため息が出る。安斎吉三郎、佐藤 明、篠山紀信、高梨 豊、東松照明富山治夫、中村由信、奈良原一髙、細江英公、横須賀功光の十人だ。およそ三十歳前後で、出るべき人は出てきていたのだなあ、といった想いがする。

 写真についても写真家についても、ひとつも予備知識がなかったくせに、俺もうかうかしてはいられないぞと、意気込む気分が起きた。
 そのくせ自分は将来どの途を行ってなにを勉強すべきかも、かいもく掴めてはいなかった。近代美術館の階上には映画試写室があって、月ごとの特集上映会が連日催されていた。エイゼンシュタイン月間だのジュリアン・デュビビエ月間だの、小津安二郎月間だの無声映画月間だの、二日替りのプログラムで上映された。東西の古い映画を、まとめて観ることができたから、美術館の年間会員証を所持した映画少年たちが通い詰めていた。
 その日も、映画を観たついでに、道順となっている途中階の「現代写真の10人」展を観たに過ぎなかった。目当ても目処もなく、ただほっつき歩いていたのである。


 写真家の作品紹介ページを角版で複写するのは、いかにも畏れ多い。こんなふうに切取っておく。奈良原一高細江英公のページである。
 今となっては、保存状態の悪い、紙屑にちがいあるまい。処分は古書肆に委ねる。



 話題の新人監督小栗康平の初監督作品『泥の河』が封切られたときの、東宝のプログラムが出てきた。原作は宮本輝の小説だ。監督も原作者も、いよいよ同世代になってきたな、という気がした。
 時は昭和二十年代、舞台は八百八橋の大阪。汚れた川または運河沿いには、ポンポン蒸気やダルマ船がくつわを並べるようにもやってあり、貧しい水上生活者が活発に出入りしている。上げ潮の時間になると、街じゅうがどぶ泥の匂いに満ちる。映画が始まってすぐに、私にはその匂いが伝わった。


 小栗さん、舞台は大阪だそうですが、横浜桜木町もそっくりさようでしたよ。船と船とのあいだに綱を張り渡して、洗濯物を干す人たちもありましたね。
 汚れきったランニングシャツに鍵裂きのある半ズボンを履いた少年が登場しますが、あれは私です。映画に私が出てきました。自転車の車輪からゴムを外して、リムだけになったのを棒きれで転がしながら走りましたよね。私は不器用で、下手くそでしたが。
 暗いガード下にはだれかしらが寝ていましたが、抜けた向うはバルビゾン派の画のように明るく陽が射していて、そうそう、白い立て看板に墨一色でトクホンなんて書いてありましたよね。
 唯一の相違は、私の母が加賀まりこさんじゃなかったことです。

 あまりに明け透けな同世代表現に対しては、まっこうから推すのが照れ臭い。この時も、小栗康平作品は今後観なくてもいいんじゃなかろうか、宮本輝作品も読む必要がないのじゃなかろうかと、ふと思ったものだった。

 どこをどういう順路でほっつき歩いたもんだか、順路もきっかけも再現することはできない。いずれも、古書肆に出す。
 ・『日本映画創造の拠点』戦後独立プロ=資料(シナリオ研究所)
 ・『ドナルド・リチイの華麗なスキャンダル』(短篇四作上映会プログラム)
 ・『ベトナムから遠く離れて』アラン・レネ(アートシアター新宿文化チラシ)
 ・『シネマ・デッセイ』(アートシアター新宿文化機関誌バックナンバー)
    №14:日本映画特集 №15:ATG 上映作品総目録
 ・『ビディリアナ』ルイス・ブニュエル、『乾いた花』篠田正浩(二本立て上映会プログラム:ザラ紙孔版)実践女子大学映画研究会
 ・『詩かドキュメントか』野田眞吉による作品解説(野田眞吉映像作品を見る会:テキスト)
 ・『眠る男』小栗康平監督(岩波ホール公開プログラム)