一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

蛍の光ATG



 ATG(アートシアターギルド)映画の影響をもろに受けた世代だ。想い出となれば、とうてい語り切れない。もっぱら「新宿文化」劇場で観た。姉妹館「日劇文化」へは、一度か二度しか入館していない。

 あれこれの場面や台詞について、今もくっきり思い出せる作品がある反面、どんな映画だったかさえまったく記憶にない作品もある。プロブラム(機関誌)に記憶を引出されることは今後もあろうが、それだけの目的で手許に置くのもいかがか。
 機関誌三十二冊を、古書肆に出す。もっとあったはずだが、例によって拙宅環境のゆえ、散逸か破損の憂き目に遭ったままだ。出てきたときの補遺とする。

 わが備忘のために、全冊を書き残しておく。
 〈15〉僕の村は戦場だったタルコフスキー)、〈32〉道化師の夜(ベルイマン)、〈35〉81/2(フェリーニ)、(38)とべない沈黙(黒木和雄)、〈39〉太陽は光り輝く(フォード)、〈40〉小間使の日記ブニュエル)・憂国三島由紀夫)、〈41〉市民ケーン(ウェルズ)、〈44〉大地のうた(ライ)、〈45〉魂のジュリエッタフェリーニ)、〈46〉汚れなき抱擁(ボロ二―二)、〈47〉忍者武芸長(大島渚)、〈49〉ラブド・ワン(リチャードスン)、〈50〉気狂いピエロゴダール)、〈51〉河 あの裏切りが重く(森弘太)、〈53〉戦争は終った(レネ)、〈54〉華氏451(トリュフォー)、〈55〉絞首刑(大島渚)、〈56〉召使(ロージー)、〈59〉男性・女性(ゴダール)、〈60〉ヒットラーなんか知らないよ(ブリエ)、〈65〉新宿泥棒日記大島渚)、〈66〉火の馬(パラジャノフ)、〈68〉心中天網島篠田正浩)、〈74〉地の群れ(熊井啓)、〈75〉エロス+虐殺(吉田喜重)、〈76〉バルタザールどこへ行くブレッソン)、〈78〉東京争戦後秘話(大島渚は占に戈)、〈79〉無常(実相寺昭雄)、〈83〉日本の悪霊(黒木和雄)、〈84〉修羅(松本俊夫)、〈85〉袋小路(ポランスキー)、〈106〉津軽じょんがら節(斎藤耕一

 『僕の村は戦場だった』を私が ATG で観ているはずがない。まだ中学生だ。後年どこかでリバイバル上映を観て感動し、機関誌『アートシアター』のバックナンバーを求めたのだったろう。それが証拠に、チケット半券が挟まってない。
 『道化師の夜』も怪しい。紀伊國屋ホール名画観賞会の半券が挟まってある。
 その前にどこかの名画座で、『野いちご』『処女の泉』を観てショックを受けた私には、イングマール・ベルイマンを追いかけた時期があった。エロス主題に日本とは似ても似つかぬ宗教主題が絡まった異様な世界で、まったく理解及ばぬままに揺さぶられていた。そこへ紀伊國屋ホールでの「ベルイマン特集」があって、なん作かまとめて観ることができた。『第七の封印』もその時だったのだろうか。いずれにせよ、順序が滅茶苦茶だ。
 機関誌『アートシアター』の『道化師の夜』号は、後日「新宿文化」にてバックナンバーを求めた臭い。

 自分で入館した「新宿文化」デビューは、フェデリコ・フェリーニ『8 1/2』である。これまた難解にして魅力的な映画だった。幻想手法も宗教主題もあるのに、ベルイマンとはまったく感触の異なる映画だった。手がかりすら掴めぬ謎ばかりだった。
 ヨーロッパといったって、地中海沿岸と北欧とでは、真逆というほど美意識が異なるなんぞとは思いも寄らなかった。矢代幸雄やケネス・クラークや高田博厚の著書に出逢うには、このあとまだ五年もかかる高校生だった。西と東についても同様だ。長谷川如是閑の名など、聴いたこともなかった。そして南なり西なりから観たら北なり東なりはいかに見えたのかと、ヘロドトス古見聞に自分が耳を傾けるにいたるなんぞとは、夢にも想像できぬ齢ごろだった。

 手持ち機関誌の間が空くようになり、やがて「新宿文化」へ通わなくなるころの奥付を観ると、大学教養課程の留年暮しを切りあげて、かび臭い古文献に頭を突っこむようになってゆくころだ。野次馬風来坊が、ようやく学徒の真似事をするようになった時期に当っている。
 ATG 映画は、しょせん解きえようもない多くの謎を残してくれた。謎は長らく放置された。ほんのいくつかは、後年の思索の手がかりとなってくれた。多くは忘却の霧に紛れていったけれども。
 それでも私一個にとっては、忘れることなどできぬ大恩である。
 散逸を免れた機関誌『アートシアター』三十二冊に添えて、佐藤忠男編『ATG 映画を読む』と多賀祥介『ATG 編集後記』をも、古書肆に出す。