
江古田駅から徒歩五分。本のセレクトショップ「百年の二度寝」さん。カワイイグッズの小間物店と連結された、若者や女性客に人気の店だ。
ゴールデンウィークに入ったばかりの日、独りでこっそり伺って、同店のオリジナル商品であるトートバッグを譲っていただいた。半月前に古本屋研究会の若者たちと同店を訪れたさいに、眼を着けた。が、買うのは控えた。若者たちに本との出逢いを奨めている日に、自分だけ手提げ袋でもあるまいと思ったのだった。
で、日を替えて独りで出かけたわけである。
同じ細工で図柄の異なるシリーズ姉妹品には、夏目漱石や内田百閒がデザインされた商品があり、共同店長さんのお一人がミュージシャンであるところから、音楽がデザインされた商品もある。私は初見の瞬間から、店名がアレンジされた商品しか眼中になかった。いまさら漱石を背負い百閒を抱えたところで、ご利益は手遅れだろう。
初見の日になにが気に入ったかと申せば、むろんデザインのユーモア感覚もあるが、なにより材質が丈夫そうだったからだ。いわゆる帆布地である。テントやヨットの帆などに用いられる布地である。これは頼もしい。しばらくは同店の広告塔の一人として、これを肩に掛けて歩こう。
二十五年ほど前は、文房堂の広告塔だった。「文房堂」と大書された布袋を色違いでいく枚も所持していた。神保町歩きがきっかけだった。さしあたり捜し求めている本もないことだし、今日はけっして衝動買いをするまいと、心に誓って出かけるのである。ところが古書店街を散歩しているうちに、意外な本を知り、忘れていたものを思い出し、奇妙なものと出逢ったりする。常用のショルダーバッグに収まりきらない。三省堂本店のすぐ裏手にある文房堂本店へと駆け込み、布製トートバッグを調達する。こんなことがなん回かあると、取っかえ引っかえどう使い回しても、つねに文房堂の広告塔として歩くようになってしまう。
少し後だったか、酒屋のご用聴きさながらだったこともある。
昭和のいつ頃までだったか、味噌醤油も、酢や酒も、塩も砂糖も、酒屋の店員がご用聴きと配達とにお得意客宅を回ってくれていた時代があった。配達時には、ガラス瓶を保護する厚手の布袋を手にしていた。袋の腹には清酒の銘柄だの醸造元の屋号だのが染め抜かれてあった。
そんな袋はとうに世間から姿を消して久しかった昭和の仕舞いごろ、下北沢の骨董店で未使用の酒屋布袋が、五袋ほど束になって出たことがあった。買い占めた。底板が入って足金具の付いた、それはそれは丈夫なものだった。五合瓶や一升瓶を支えるのだから、当然である。
ひところ私は、酒屋か醬油屋の掛取りみたいな恰好で、大学へ出講していた。

今では断捨離がなにより優先の暮しだから、重いもの(つまりは書籍)を持つ必要がない。丈夫な袋たちも、傷んで寿命が来た順に捨ててゆき、軽素材のものへと入れ替ってきた。百均ショップの隅でスタンドにぶら下っている商品から、図柄の好ましいものを摘んできて、愛用している。私の暮しなんぞ、おおかたの用はそれで足りる。
ただ軽素材といっても、それらはあまりにも軽素材であって、陽に透かすと向うが明るいような布だ。おおかたの用には足りるとはいえ、いくらなんでもという場合も生じる。解りやすい例を申せば、川口青果店にてじゃが芋と人参とカボチャとを買おうものなら、布が裂けぬか縫製がほころびぬかと心配になる。はち切れんばかりに詰め込むのは危険だから、ビッグエーに移動したらもう一枚の袋を出すが、牛乳のリットルパックや缶詰や料理酒や醤油などのなにかが重なった場合には、またもや危険水域に達してしまう。
袋に罪はない。軽くて便利だから、そして重量にも固さにも耐ええないからこそ、税込み百十円の商品なのである。責任は私の用いかたにあることは明白だ。
やはり丈夫な袋というものは、暮しに必要だ。野菜や牛乳パックばかりではない。「百年の二度寝」さんのトートバッグを、私はノートパソコン運びに利用したいと考えているのである。じゃが芋とカボチャは別でなんとかする。