一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

整列!

 

 過日着手した花梨樹の枝詰め作業。二回目である。

 一回目は、しなだれかかるかのように道路へ張出す、南がわの下枝を払った。今回は、建屋二階ベランダを覆う北がわの上枝、および梢を形成する主幹の上枝一部を詰める。バランス上、東へ伸び出した下枝の一部も詰める。
 ふだん出てみる機会のないベランダには、枯落葉が吹き溜っていた。集めて外へ落す。これから刈込む枝葉と一緒に片づければいい。ベランダを覆うように伸びてきている枝葉を剪定鋏で伐り、下へ落してゆく。往来に通行人がないことを、確かめながらの作業だ。お向うの粉川さんのお婆ちゃんが、アンタなにを始めようというの、という顔つきで眺めている。往来のあっちとこっちから挨拶を交した。

 まずは各枝の先端に、剪定鋏を使う。径一センチを超える枝については鋏では間に合わず、のこぎりを用いる。樹の北がわはベランダに近いから、作業は容易だ。樹の西は先日営業を了えたコインパーキングに面したがわだが、ベランダの端まで移動すれば、手を伸ばせば届く枝もある。
 ところが西側も少し遠くなると、手が届かない。そんなこともあろうかと、取っておき兵器を思いついてあった。かつてお世話になったステッキ類は形状も寸法も用途別機能もいろいろだが、すべて捨てずに保管してある。なかに最適なものが一本あった。把手の湾曲具合が、手の届かぬ枝を身近に引寄せる道具として格好なのだ。ベランダから遠い枝も、ステッキの柄で引寄せて、左手で枝を掴んでは右手でノコを引く。

 要領を会得すると、あんがい遠い枝まで引寄せられると判った。梢へと連なる幹の中心に近いあたりまで、ステッキの活動範囲に入る。樹形を考えてバランス調整するのは後回しだ。とりあえず手の(つまりステッキの)届く限りの過剰枝は詰める。今日は剪定鋏よりも、のこぎりが大活躍だ。
 ベランダから身を乗出しての作業が続く。事件ドラマだと、ここから落下するのだが、なんぞと考えて、苦笑した。

 樹の中心に東西の線を想定して、線から北がわ半分については、きわめて不揃い不体裁ながら、ひとまず枝詰めした。径二センチ以上で丈二メートルを超える枝が五六本、径一センチ半ほどの枝が十本あまり、径一センチ未満が三十本ほど、地上に落された。
 枝葉のほかに、イチジクの実ていどの実が、なん個落されたかは数えることもできない。どうせいつかは落ちるのだ。成長途上の花梨の実は、つかの間の強風にも吹き落されやすい。相当数の実を結んだうちでも、マクワウリのように巨きな黄色い実として熟すのは、ほんの数個である。たいていは強風で地に落とされるか、鳥たちの餌となる。

 往来へ出て、南がわから樹を視あげてみる。根かたへ寄って、周辺の足場を想定してみる。すこぶる条件が悪く、脚立の据えかたにかなりの工夫が必要になりそうだ。通行人や通行車輛への気遣いも欠かせない。主枝が予想外の倒れかたをしないように、あらかじめロープをかけての作業となるかもしれない。
 粉川さんのお婆ちゃんが、犬の散歩から戻って来られた。
 「よくなさるわねぇアンタ、さぞご気分もスッキリなさるでしょうに」
 おかげさまでと、口では云っておいた。したたるほどの緑葉を着けたナマ木を、二十本以上ものこぎりで引いたのだ。スッキリなんぞするはずがないではないか。
 フェンスと塀の内側には、思いのほか巨きな枝葉の山ができた。積みあげたままにしておく。葉が枯れて、始末しやすくなってからの作業だ。


 本日出動した道具隊、整列! 礼っ!


 道具たちが整列するすぐ眼下の段差には、わずかな割目だろうが隙間だろうが、抜け目なく生きられる連中が居着いている。この家の爺さん、手入れ悪いなあと、道行く人からは思われることだろうが、実害を及ぼさぬ連中だ。よくよく眼に余るほどに視苦しくなるまでは、眼こぼししておく。