つい先月まで、こういう建物があった。
ある日、大きな音が轟き始めた。巨大なコンテナが店前に横付けされていた。二階の窓から、ベランダから、あるいは屋上の手摺り越しに、家具やら家電やら雑貨やらが作業員さんの手で地上のコンテナへと投げ捨てられた。什器備品や小家具はそれ以前に始末されてあったらしく、大型家具やガラクタを豪快に処分するといった感じだった。
やがてコンテナは丸ごと運転台車に載せられ、ダンプカーの荷台に早変りしてどこかへ去った。そしてまたやって来た。
一階は長年ご商売をなさった、和食小料理の居酒屋だった。拙宅からは徒歩一分。あまりの酒住接近状態には、とかく人間関係の窮屈や話題の差障りが生じがちだから、悪意はいささかも持合せぬながら、お付合いは控えてきた。階上は間借人と家主さんのお住いだったのだろう。
自身ではご縁がなかった店ではあるものの、想い出はある。商店街にチェーン店の喫茶店があった時代に、若い雇われマスターが、同じ商店街のレンタルビデオ店の女性店員さんに夢中になったことがあって、マスターから頼まれごとをされたことがあった。なんでも彼女は、店のシフト後にはこの小料理屋で一杯やって談笑して帰るらしい。そこでは決った男と落合ってでもいるのか、それともたんなる気晴らしだけで逢引きの気配はないのか、確かめて欲しいとの依頼だった。
指折り数えれば呆れるが、四十年近くも前のことだ。これまた呆れるが、当時の私は、「地元じゃ飲まねえよ」とうそぶきながらも、新宿なり六本木なりを足繁く徘徊する、いっぱしの酒飲みのように思われ、そう振舞ってもいたのである。若いマスターの眼からは、さぞや色恋沙汰にも手慣れた、話の解る兄貴と見えてしまったのだろう。
そういうことは自分で確かめてこそ意味がある。俺に頼むこと自体が、先方の女性に対して失礼だ。彼女を想うのであれば、当って砕けろだと、依頼を固辞した。が、マスターはまったくの下戸だったから、自分で店に出かけることはとうとうできなかった。
困ったことに私は、彼女が勤めるレンタルビデオ店の定連客でもあった。過去の名画やシリーズ物の海外ドラマはもちろん、アダルト商品も取っかえ引っかえのべつ借り出す客だった。照れる齢は過ぎていたから、店番をする彼女とは映画の話題のみならず AV 女優や監督の情報なんぞまで、カウンターを挟んでざっくばらんに立ち噺した。小なりで清楚な容貌に似合わず、彼女は捌けた大人の女性で、当方を「陽気なエロオジサン」として、ごく朗らかに接してくれていた。
つまりは初恋物語の尻尾を引きずったかのようなマスターの片想いは、初めから勝負が見えていたのである。残る可能性は、当って砕けた果てに、彼女がマスターの無垢な好意に応える気になってくれればいいがと、幸運を祈るしかなかった。
今日の午前中は曇天で、午過ぎから小雨が降り始めた。遮音テントがめくれると、内では視あげるほど巨きな重機が、さながらビル群をなぎ倒して進むゴジラのように、建物を食い倒しつつある。
小料理屋が開店する以前ここには、ご夫婦で営む小ぢんまりした寿司屋があった。素木の一枚板のカウンターが、白じろと眩しいような新店で、修業した親方の店から独立して、初めて商売したという若夫婦がやっていた。私も客として出入りした。まだ近所で飲食することで生じる面倒臭さに無頓着だったのである。喫茶店マスターとレンタルビデオ店女性との一件よりも、さらに十年前のことだ。
社会人になりたてだった私は、高校のバスケットボール部で五学年後輩の三人に、そこで寿司を振舞ったことがあった。一人が片想い中で、二人がそれを繰返し冷やかしからかってやまぬという三人組だった。まだ飲み慣れぬ三人は羽目を外し、おおいにはしゃいだ。粗相してカウンターの醤油差しをひっくり返し、素木カウンターに黒ぐろとした地図を描いてしまった。取返しのつかぬ不始末をしでかしてしまったと、私は親方に平身低頭した。おそらくは顔面蒼白だったことだろう。若い親方は静かに笑っていた。
数日後、もう一度独りで謝りに伺った。親方はその時も、静かに笑っていた。よほど丁寧に掃除し、洗い、磨いたにちがいないが、それでも注意して眺めれば、素木のカウンターにはうっすらと地図が残っていた。
「いつかは汚れるんだから。こうして年季が入ってゆくんだから」
親方の言葉に、私は謝りの言葉も思い付けなかった。
駅に近い商店街には、親の代からという寿司屋が二軒あり、それぞれ二代目が繁盛させている。蕎麦屋も洋食屋も中華料理店もある。駅から五分歩いたこの地に、新規の寿司屋はやはり無理だった。丸二年と経たぬうちに、閉店することになった。千葉県へ引込んで商売を続けるとのことだった。せっかく馴染になれたのにと、互いに別れを惜しんだ。
私も若く、気が利かなかった。次にどんなご商売の人が入るのかは知らぬが、よもや居抜き寿司屋ということはあるまい。どうせ店はぶっ壊すのだろう。さほど長くもない、せいぜい二メートル少々ほどの素木の一枚板を、所望して譲り受けておくのだった。好い記念となったことだろうに。
後輩三人はやがて、私なんぞよりもはるかに有能な社会人の途を歩んだ。有頂天にはしゃいで醤油差しをひっくり返した片想い君は、全国新聞社の記者となり、海外特派員ともなった。三人とも、もはや定年退職だ。今もしあの素木の板があれば、三人を脅迫して、せいぜい搾り取ってやるんだが。