一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

秋、急ぐ



 涼しい午前中だった。始めるのは今日しかない。

 猛暑・残暑にかまけて日延べを繰返してきた草むしりだ。あちこちで無残な状態となっている。
 手始めは、玄関から門扉までの飛石通路の左右両側だ。ほんの数メートルではあるが、訪れてくださるかたのお足もとが危ない。加えてこの両側にはかねてより懸案の、役割を了えて半枯れ状態になった先祖還り君子蘭の株たちが、処分を待っている。大場より急場。大原則である。

 北隣の児童公園からは、元気な号令やら掛声やらが聞えてくる。野尻組の若い衆がたが、テントや葦簀小屋や、昨日までの祭礼のための設置物を解体・撤収しておられる。テーブルや折畳み椅子も多い、公園隅っこの町会用倉庫へと格納するのだろう。準備と後片づけとでは、断然気分が異なることだろう。きっとはるかに重労働だ。

 
 まずは西がわ建屋寄り。歴代もっとも数多く草むしりしてきた箇所だし、ふんだんに枯枝枯葉類を埋め戻してきた箇所でもあるから、土質は与しやすい。瓦礫や遺物もほとんど出てこない。
 春にも初夏にもむしった場所だから、剛情な相手も少ない。アッという間の俊足で生え出てくるネコジャラシムラサキゴテンが中心だ。それらをむしると、下草のようにしてドクダミの幼葉が顔を見せる。この連中は成長すると逞しい地下茎ネットワークを形成するから、今のうちにあるていど面倒を看ておく必要がある。とはいえ短時間での急場仕事だ。念入りにというわけにもゆかない。
 それでも四十分作業。直射日光が射してこないから助かってはいるものの、しゃがんだままの作業は辛い。年々きつくなってきた。気温は低くとも湿度があるらしく、汗まみれとなる。

 ゆったり構えて、健康法を兼ねた日課の草むしりにいそしんでいる時季であれば、本日の作業はこれまでとするところだ。しかし今日はさような場合ではない。急ぎの秋が到来したのだ。二十分間の休憩に入る。玄関扉の脇に雨ざらしのまま放置してある、半壊状態の丸椅子に腰を降して、飲料と煙草。バンダナ代りに頭を覆っていたタオルを外して、首筋やら肩やら腕やらを拭う。

 
 東がわブロック塀寄り。こちらも植相はほぼ変らない。陽当りのわずかな相違だろうか、シダ類が若干多い。また塀ぎわを好む蔓性植物やヤブガラシも目立つ。が、瓦礫や遺物が少ない点は西よりと同様だから、作業自体は困難ではない。鎌や手持ちスコップの出番など皆無だ。使用する道具といえば、君子蘭の茎を、地表にかすかに頭を見せる球根近くから伐り離すために、剪定鋏を用いるていどだ。しゃがんだままの姿勢が苦しいだけである。

 明るいとはいえ気温が低いからだろうか。時おりコオロギが鳴く。本日作業の一帯では鳴かない。今日だけでなく、ふだんからさようだ。多く鳴くのは建屋の西もしくは北方面である。草むしりの回数が少なく、かつてはフキの勢力圏だったのが今は雑多な乱世状態となっている方面だ。
 「鳴くだけ鳴いて、さっさと勝負を済ませといてくれ。近いうちにそちら方面へも手を入れるから」と、コオロギに忠告しておいた。


 やれやれ、どうやらこれでご来訪のかたにも、宅配便さんにも、ガスメーター検針員さんにも、安心して玄関にまで到達していただける状態となった。ただしガスメーター検針員さんに限っては、ここからさらに建屋裏手へと廻っていただく途中に、ひとつふたつの難所が控えている。なるべく早く開通させますから、今しばらくのご猶予を。
 君子蘭の枯れ地上部は、すべて姿を消した。これでいい。球根部にとってはだいぶ気楽になったはずだ。


 思いのほか巨きな刈草山ができた。
 草むしりに取りかかる前の今日最初の仕事は、目減りしたり埋め戻しに使ったりして小さくなっていた複数の枯草山を、一か所に集めることだった。例のごとく枯草山の下でコロニーを形成していたダンゴムシたちにとっては驚天動地の大災害であって、その右往左往のパニック状態は、いつもながら気の毒だった。ここで産れたのかもしれぬ黒ぐろと艶のある若虫にとっては初体験の恐怖だったことだろうが、やむを得ない。当方には当方の、新たな草山地を空けなければならぬという、のっぴきならぬ必要に迫られていたのだ。
 その空地へ今日のぶんを新たに積んだ。ほとんどがまだかすかに呼吸している根つきの草類だ。ダンゴムシたちの新たなコロニーの適地となろう。それで勘弁してもらう。

 後半作業も四十分。準備と片づけとを含めれば、計二時間を少々超える、私としては突貫作業だった。正午近くになった。なんと陽が射してきた。気温も上昇してきた。今からだったら、作業開始できぬところだった。
 児童公園でしていた野尻組の声が、いつの間にかやんでいる。あれほどの設置物だったのに、なんと手早い作業だろうか。コオロギも鳴きやんでいる。