
開店十分前の堂々堂。店構えはすべて準備できた。
今しがた通ってきた正門から守衛所へ向うあたりに、異様に長い行列ができていた。揃いのユニフォームティーシャツを着込んだ委員学生に訊ねると、定刻開門と同時に入構したい来場者がたの行列だという。
昨夜の雨は上って、絶好の大学祭日和だ。
私に手伝えることはない。なまじ手伝おうなんぞとしようものなら、若者たちの足手まといになる。私にできることは、現役学生諸君にとって面識のない、古手の OB が来店したときに、唯一の顔見知りとして挨拶を受けることだけだ。
「お変りなく、お元気そうで、なによりです」
冗談じゃない。今やお元気でご活躍なのはおたくさまのほうで、当方は日に日に耄碌してゆく一方だ。お互いさよう承知してはいるが、年に一度のめでたい形式ということもある。「ありがとう、おかげさまで」とお応えしておくほかない。
思い立ってわざわざ出かけてきてくれた社会人にとって、学科事務室に詰める助手諸君たちも出勤当番の若手教員がたも、視おぼえのない顔ばかりでは寂しかろう。張合いもなかろう。ご自身の在学中にも活動していたサークルが、懐かしくてしかも進歩の視られないような店を今も張っていて、近辺にはかつて教室で目撃した元教員のジジイがモゾモゾしていることは、なにかしら郷愁を掻き立てる光景かもしれない。
疫病禍の数年間に多くの縦関係がズタズタに断ち切られた。サークル活動の環境は激変せざるをえなかった。防衛戦を余儀なくされた。発展できなければ、しなくたっていい。ただ在れ。在り続けろ。それが私と、気脈を通じた一部 OB たちとによる闘いだった。
珍客到来の場面でもないかぎりは、私の出番はない。人の流れが落着けば、学内を遊んで歩く。一日目はまず美術学科の展示会場へと赴いて、絵画、版画、彫刻の順で観て廻るのが、毎年一日目の慣わしとなってきた。
今年のきわ立った特徴は、東洋外国人の作者名が多いことだ。わが文芸学科には、言葉の壁ということがあって、外国人留学生が少ない。しかし他学科においては、さような壁は低い。
洋画作品の展示会場では、リンゴやザクロを描いた静物三点とガールフレンドらしい女性像一点との、タブロー四枚を並べた、ことに眼を惹く学生作品に出くわした。立ち停まって眺め入っていると、男学生が話しかけてきた。
「作者は、彼です」
背後に、もう一人の男学生が立っている。たどたどしい日本語で、挨拶してきた。どうやら日本語に自信の持てぬ作者のために、仲間の日本人学生が繋ぎをつけてくれたらしい。今さらながらに、作品に付された小札に眼をやると、片仮名の作者名だった。訊けば、中国人留学生で、広東省出身だという。
絵画コースにおいても彫刻コースにおいても、中国人留学生のほとんどは作者名を漢字で表示してあるのに、彼だけは片仮名表示だ。理由は訊ねなかった。根掘り葉掘り訊ねてはならぬのかも知れぬ。面倒臭い時代になった。「なん年生ですか」「友達はできましたか」とのみ訊ねた。三年生で、こういう友達がと、彼は相部屋の展示仲間たちを指した。
おおいに観ごたえある作品でしたと、私は感想を述べた。おべんちゃらでも社交辞令でもない。丁寧に描き込まれた、あたりまえを好しとする写実画だが、女性肖像の眼と睨めっこしていると、怖ろしくなってくるような画だった。あたりまえの具象が究めてあることの怖ろしさという、文学にも共通する問題だ。

美術学科の呼び物のひとつと、毎年ひそかに目してきた展示が、今年もあった。全国の日大系付属高校の美術担当教諭がたによる、ご指導・ご協力に負うところなのだろう。腕自慢の高校生によるデッサン自画像の集合展示である。決められた寸法の画用紙に描かれ、全国から届いた鉛筆画による自画像が、展示室三方の床から天井にまでビッシリと貼り出される。壮観である。凄まじいパワーである。
技法のことは措くとしても、また私には判りかねるとしても、踏込みの深浅について、じつに様ざまな自画像が並ぶ。遠慮がちにあっさりと、踏込みを自重した作品もあれば、より深く踏込もうと気負うあまりに自画像とは異なる作品へと、いわば解体過程へと一歩を踏出してしまっているのではという作品まで、まさにいろいろだ。
おそらくは同一の教諭に指導される教室仲間のみで比較しているあいだは、本人にも気づけぬ問題を含んでいよう。全国の日大付属高校を結集させた展示を通してこそ、高校生たちは初めて気づくことだろう。こんなふうに描く同年齢がこの日本にいるのかと。
ほとほと感心させられるいく枚かがある。後生畏るべし。なかのいく人かは受験して、来春には美術学科へと入学してくるのだろう。

まだ明日も明後日もあることだから、老人のスタミナ切れという醜態をさらしては一大事だ。堂々堂の本日の店仕舞いにまでは立会わずに、会場を後にした。
で、いつもの店の、いつものカウンターで、今日は羽根つき餃子である。次から次へと、スゲー奴が湧いて来やがる。悪い気はしない。