一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

日曜、あー怖かった!



 予定外だったが、最近眼醒めた「めかぶサラダパン」を食べたくて、タカセ珈琲サロンへ入ってみたのである。しかし……。

 土曜日曜の池袋は、私ごときが歩いてよろしい地域ではないと、かねてより承知している。が、人と会うわけでも、買物をするわけでもない。近ぢか買物したいと目論んでいるものがあって、今日は下見というか候補の品の物色に過ぎない。サッと往ってサッと還るだけのことだ。甘かった。思いのほかの時間を要した。で、――。
 土曜日曜のタカセ珈琲サロンや本店階上にあるタカセ珈琲ラウンジは、私ごときが入店してよろしい店ではないと、これもかねてより承知している。魔が差したとしか、申しようがない。

 奥の大テーブルでは、ご婦人六人と紳士二人の交流ミーティングだ。「先生」を囲む善意・好意の応酬合戦らしい。音頭取りの五十年配婦人が「アタシ、先生大好き」と甲高く連発し、なにやら持寄りの品をご披露し合い、一同で記念写真を撮っている。あたりに漏れなく聞えよとばかりに、腹の据わった声が、すなわち周囲の耳にキンキン届く声が飛び交う。次から次へと、よくもまあご自分の暮しぶりや考えばっかり繰返し強調して、飽きないもんである。
 こちらでは腰丈の衝立内のふたボックスを寄せて、三十歳代女性十人の仲良し交流。女子大学の OG 会だろうか。よっぽど耳寄りな話題が連続すると見えて、ご一同の爆発的な笑いが途切れることなく連発する。
 私の背後のボックスでは、テーブルにタロットカードを並べた五十年配の女性占い師さんが、深刻顔の女性相手に、さっきからずっと熱弁をふるっている。
 私と横並びの独り掛けのカウンター席でパソコンを開けている客たちは、イヤホンをして作業中だから、平気なんだろうか。私はパンを頬張りながらも、読みかけの本を鞄から取出してはみたが、周囲の喧噪と熱気とに、とうてい太刀打ちできようはずもなかった。

 土曜日曜の当店は、この日しか時間を都合できぬかたがた、すなわち暇老人とはちがって、しっかり社会的役割を担われて、日ごろ厳しいお暮しをなさっておられるかたがたの遊園地なのだ。わざわざこういう日に、「めかぶサラダパン」を味わおうなんぞと入店すべき店ではないのだ。
 しばらくは面白がって、我慢してみたのだったが、やがては本なんぞ閉じて、身支度を始めるしかなかった。予想はできたはずだったのにと、わが判断の甘さを後悔する。

 
 今日の外出目的だが、狙い目の品物に、なかなか出くわさない。鳩居堂本店か伊東屋本店か文房堂本店まで出向けば、なにがしかにはお眼にかかれるのかもしれない。が、もし銀座なり神保町なりまで出てしまうと、次から次へという仕儀となって、そう簡単には還って来られそうもない。池袋で間に合えば無難だし、好都合だという気がある。
 先日は他の買物ついでに西武百貨店階上のロフトを眺めた。同じく東武百貨店階上の伊東屋ブースも眺めた。

 今日はまず、パルコ内の世界堂を偵察する。その昔、パルコに入る以前の東口店にはお世話になった。新宿西口店でも、今の場所に移る前の新宿東口店でも買物した。懐かしい店だ。この店と接点がなくなってしまった私の暮しかたが、疎遠の原因だ。
 品物を観始めると、またぞろあれもこれもと思い始める。せっかくの世界堂だ。狙い目とは別に、額縁を観ておかねば。こちらは気に入った商品がすぐに見つかった。サイズを正確に抑えて、近日再来店だ。
 紙のたかむらへと廻る。紙製の商品につては、もっとも信頼してきた店だ。原稿用紙を消費する暮しだった時分には、この店の原稿用紙が気に入りだった。今回の狙いは紙製品ではないが、関連商品として、見逃せぬサンプルがここにもある。う~ん……。

 紙のたかむらまで来てしまうと、背中合せとも隣組とも云えるほど目と鼻の先がタカセだ。土曜日曜には私なんぞがと、重々承知だったにもかかわらず、つい「めかぶサラダパン」に眼が眩んでしまう次第となった。


 池袋よ、さらば。練馬駅構内のモスバーガーにて、ようやくひと息ついた。初めからここの好物チーズバーガーにしておけば、よろしかったのである。

 ヒポクラテスの著作とヘロドトスの著作とには、語彙の共通性がある。むろん「医学」概念も「歴史」概念も確立していない時代の著作だ。ケンブリッジ碩学が指摘し、ヘブライ碩学が実証したところを、日本の学者が噛砕いて教えてくださる。
 二人ともイオニア小アジア)の海岸ポリスないしは島に産れ育った。アッティカ本土のギリシア人ではない。むろんアジア人でもない。ギリシア人ならざるギリシア人である。境界に生きた人だ。それを死ぬ直前のエウリピデスは遺作悲劇でどう描いたか。今の日本になぞらえれば? 新しき学問(もしくは芸術)が立上るときには? 
 わずか五ページ読むうちに、アッという間に二時間が経つ。日曜日の池袋では二時間が過せない。練馬なら長居させてもらえる。