一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

いただくばかりで



 元気を出せ、ということだな。

 卒業論文宮武外骨論を出してくる男だった。そんな評論を面白がりそうな教員は、左右を視回しても他にはなさそうだったから、私のゼミに籍を置いていてよかった。その時分のご縁を多とされて、今では引きこもり老人を元気づけてくださる。
 文筆家にして編集者。ウェブデザイナーにしてサイト管理請負者。丁寧にお噺を伺おうと、いく度も試みてはみたのだが、詰まるところなにがご本職なのか、私には理解できない。一男一女の父である。
 現在の私にとっては、パソコンの先生だ。変なバナーをうっかりクリックしてしまい、視たことのない画面のあいだで迷子になって還って来られなくなる。と、視憶えのある途にまで戻してくださる。
 また昭和の家電さながらに、寿命尽きるその日まで使い倒す癖の抜けぬ私が、新台に切替えようにも、完全停止した旧台のハードディスクからなにひとつ取出せずに立往生してしまう。と、なぜもっと早くにバックアップをと、そのつどお叱りを頂戴する。

 ながしろばんりさんから、豪華なハム・ソーセージ詰合せのご恵贈に与った。わが生存確認日記にもお眼を通してくださっているらしい。バランス老人食ばかりの自炊模様に業を煮やされたか、少しは元気を出せと喝を入れてくださったものだろう。ありがたい。せいぜい気張って、ご馳走になることとする。
 でも年寄りにとって、元気の出しかたって、むずかしいよなあ。はた迷惑になりかねんもんなあ。田原総一朗さんじゃあるまいし。


 東京郊外の私鉄沿線の市街地にお住いの従妹は、夫君とお揃いで歯科医院を開業している。叔父と義叔母の歯科医夫妻がその地で開業したのは、昭和三十年代だった。駅周辺が住宅地化され、徒歩五分が寺町風で、そこを過ぎれば雑木林や畑の間に民家があちこちといった風景だった。今は駅も現代風で、街も明るく洗練。画に描いたような郊外型住宅地だ。
 長女は歯科医となり、歯科医と結婚し、姓は変ったが両親の医院を夫婦して継承した。サザエさん一家のような構成だ。次女は遠方の歯科医へと嫁いだ。右を向いても左を視ても、歯科医ばかりといったご一家である。

 従弟妹ご夫妻から、神戸の菓子舗謹製のチョコレートのご恵贈に与った。ご夫妻はいつも、私の視野になどけっして入って来ない工夫の品を選んでくださる。ありがたい。
 二代にわたって半世紀以上もの年月を、地域に根差した医院を経営してきた陰には、私ごときの想像も及ばぬご苦労があったことだろう。身軽な私と違って、ご家族もご親戚も多い。おそらくはその来歴が、お洒落な品選びに反映しているのだろう。
 
 齢とったからといって工夫を絶やすな。少しはお洒落に気を配れ。センスを磨け、ということだな。はい、肝に銘じます。
 とはいえ年寄りにとって、自分流のセンスの押出しかたって、むずかしいよなあ。はた迷惑になりかねんもんなあ。鳩山由紀夫さんじゃあるまいし。