
西高東低の気圧配置が緩み、晴天に恵まれて風も弱まりました、とラジオではおっしゃるのですが、老人には寒くて寒くてでしてね――。
原因は私にある。せめても陽射しのよろしい午前中の数時間を、眠っている。昼さがりともなれば、太陽はお向うのマンションの陰に隠れて、直射日光が届かなくなる。建物と建物との隙間から帯状に差し来る陽光が、枯草山のあたりやブロック塀のほんの数メートル幅に陽溜り成す。そこへ出て、煙草を喫う。たとえ日に三十分でも日光を浴びなさいと、教わった記憶がある。どなたから教わったんだったか、憶えちゃいない。もう一本喫う。することのない三十分は、けっこう長い。
陽だまりを切上げて、階上の物干し台へ揚ってみる。わずかの高さに過ぎぬのに、吹き来る微風は格段に寒い。空に雲はほとんどない。写真には、さぞかし好天と写ることだろう。ここでも、見てくれは嘘をつく。
池袋方向が望める。低層ビル群が絨毯のように敷き詰められた池袋に、ある年からサンシャインビル一棟だけが、すっくと立った。草原に突如として天空から槍が飛んできて、突き刺さったかのようだった。中層ビルが増えて、絨毯は凸凹道のようになっていった。第二第三の高層ビルが建てられていった。今ではどれがもっとも高いビルなのか、素人眼には見当もつかない。
高い処はあんなふうだもの。それぞれに人が住むなり働くなりしているんだもの。それらの人びとがドッと出てくるんだもの。私なんぞが池袋駅の乗換え地下道を、のろのろと歩いていいはずがないのだ。一部分が木造駅舎だった時分を知っていますだの、地下道がまだなくて跨線橋を渡って乗換えましただのと云ったところで、耳を傾けていただける時代ではない。
今日も用足し外出はヤメだ。週末の池袋を、私が歩けようはずもない。
学友大北君からは、ご丹精のさつま芋と人参とが届いた。いずれも型の立派なものばかりだ。しかも畑土つきのままの貴重品である。
この夏の気候変動と猛暑には、大北君も大いに悩まされ、がっかりもさせられたという。農作業への迷惑は、自然に発してさまざまに連鎖する。直接の気温被害に留まらず、病害虫の発生もつねとは異なり、昆虫の卵や幼虫生育の異変にも及ぶ。生命力旺盛にして、つねならば頼もしい作物であるはずの、じゃが芋が大凶作。里芋にいたっては全滅の憂目に遭われたとのことだ。ご無念いかばかりか。
芋類をいろいろ愉しみたいと、八百屋店頭にて夢想することはあっても、消費量に自信のもてぬ私は、結局なんにでも応用の利くじゃが芋を買って、間に合わせることが多い。これほど型の好いさつま芋となれば、頭を切換えねばなるまい。人参については、いただく手立てはいくらでも用意されてある。
さて、どういただくか、楽しき思案に暮れている。