一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

つべこべ云うな

 
    鈴木大拙(1870-1966)           道元(1200-1253)

 きっと時間切れだ。この齢になるまで解らなかったのだから、もう解ったと思える日はやって来ないのだろう。鈴木大拙についても、道元についても。

 英米文学科の教授がたがご著書を編まれるさいの担当編集者だった時分があった。英語もろくに読めぬ身で、たいしたお手伝いもいたしかねたが、日本語で書かれた論文集や日本語への翻訳原稿を、書籍化する技術を提供していたわけだ。
 あるとき『禅とアメリカ思想』という、東西比較思想の翻訳書を担当した。原著者はアメリカにおける東洋思想研究の第一人者にして、親日家でもあるとのことだった。私には難物だったが、翻訳者の教授からはそれまでのお仕事をつうじて可愛がっていただいてきた経緯があって、お引受けせざるをえなかった。
 エマーソン、ソローほか、自然と対峙するなかで思索を深めていったアメリカの哲学者や文学者が、各章ごとに考察されてあった。私にはまったく不案内の分野だったが、そういえばその昔、北村透谷が決定的な影響を受けたのがエマーソンだったナァなんぞと、乏しい知識を搔き集めながら、なんとか興味を途切れさせぬように工夫して、作業を進めていった。

 原著者がかつて在外研究員として来日のさいには、駒澤大学にて研究したというので、エピソードの断片でも拾えればと、存じ寄りの糸を手繰って駒澤大学へも出かけたものだった。
 佐々木宏幹先生からは、ご研究室にてお噺を伺った。世間では宗教人類学者とされ、シャーマニズム研究の世界的権威と仰がれていた教授だ。宗教人類学とはいかなる学問かもまったく知らぬ無学な私に対しても、先生は気さくな笑顔を見せられ、平易な日本語で語ってくださった。こんな噺が記憶に残っている。

 欧米ことにアメリカには、東洋思想なかでも禅に心惹かれる芸術家や学者が多い。その理由にも興味が湧くが、それよりも。
 より深く禅を研究しようと、また体験しようと、来日する熱心な探求者も跡を絶たない。駒澤大学へもたくさん来られた。が、じっさいに対面してみると、相手にならない。もしくは嚙み合わない。駒澤の学僧たちに歯が立たないのだ。
 欧米の禅研究者たちはすべからく、鈴木大拙による禅の世界普及の流れを引いている。つまり臨済禅だ。ところが駒澤大学は曹洞禅である。

 駒澤大学の教養部には、時おり坊主頭の外国語教員などが眼に着く。ふいに休講日があったりする。永平寺の高僧が、講演なり布教なり交流なりの用向きで欧米に出向くさいには、通訳兼ガイドとして随行する人たちだ。ふだんは仏教学部に籍を置く人もあるが、教養部にあって一年生に外国語を教えていたりする人もある。つまり駒澤大学には、曹洞宗でも粒よりの学僧集団があるのだ。
 ところで臨済禅にあっては、公案ということをする。問答だ。昔咄やアニメの「一休さん」でも、落語の「こんにゃく問答」でも、お馴染みだろう。胸の裡や肚の底の工夫を言葉に顕し、それを察したり悟ったりするわけだ。
 しかし曹洞禅にあっては、公案を重視しない。もしくはまったくおこなわない。つべこべ云うな。まず黙ってそこへ座れ、と云う。不立文字がいっそう徹底している。まずもって己の肚の底を視よ、噺はそれからだ、というわけだ。臨済禅しか知らなかった、それこそが禅だと信じて疑わなかった欧米の自称禅者たちは、一様に面喰う。度肝を抜かれる。

 佐々木宏幹先生からそのお噺を実例つきで伺ったとき、わが胸の裡になにか響くものがあった。即座には言葉にならなかったが。平べったく云ってしまえば、「先生、文学もさようであります」というようなことだ。不正確ではあるが。
 『禅とアメリカ思想』はどうやら刊行にまで漕ぎつけることができた。翻訳者の教授にもご満足いただけた。
 三十年あまり前に担当した仕事に関連して、佐々木研究室でのひと時の記憶が今に残ってあるということは、私にとっても悪くない仕事だったのかもしれない。