一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

夜咄<口上>

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――口上――

 残暑、感染症、台風シーズンと、まだまだ心配去らぬ頃おいなれど、暦のうえでは秋にございます。
 どちらも様におかれましては、ますますご健勝にてお過しのことと喜ばしく拝し、祝着至極に存じあげます。
 おかげさまにて当ブログも、本年五月三日に立上げましてより、途切れることなく百と二日。伝説に語り継がれし悲運のイケメン、かの深草の少将なれば、念願成就。無事に小野小町と眼通り叶ったであろう日々にと、あいなりました。
 これもめでたき縁かと存じ、常日頃の不愛想をお詫びかたがた、ひと言、お礼申しあげます。

 「老残妄言」と表題いたしましたるがごとく、つまりは老いの繰り言。曖昧に思い出だしたることや、偏奇に想い込みたることどもを、ひたすらに書きつのるのみの舞台。天下国家を語らず、時世時節に口出しせずを、旨としてまいりました。
 どちらも様がたにとりまして、面白きこと役立つことなどの、もとよりあろうはずもなく、たゞ己の老耄にさゝやかなる抵抗を試みる滑稽な姿こそが唯一の取柄とのみ、みずからに云い聞かせまして、この百か日を過してまいりました。

 ところがここに、思いもうけぬ僥倖。覗いてくださる読者さまもいらっしゃいまして、なんとなんと、ただ今までにアクセス数およそ九千五百、お励ましの星印およそ四千八百。望外の出会いでございました。
 まことにまことに、ありがとうございます。

 おそらくは、機能設計を駆使いたしますれば、双方向と申すのでございましょうか、より有益で楽しい舞台へと格上げいたすことも可能なのでございましょうが、あいにく私は、その能力を持合せておりません。旧態依然たる、文字文面を投稿する形式に甘んじるほかはなく、今後もこの事態が大きく拓ける望みはさほどあるまいと、挑む前から諦め気味でございます。

 その埋合せというわけでもございませんが、本日はひとつお報せがございます。
 齢若き友人の一人、ko-h君というディレクターの手によりまして、このたび新たなユーチューブ・チャンネルが開設されました。
 その名も、「隠居夜咄」。内容を示す副題には「多岐祐介の【ありんこ文学論】」とございます。表題どおり、私が気ままな放談をいたしましたるを、ko-hディレクターが録音。まことに視上げた編集技術をもちまして、按配なさった動画でございます。
 動画と申しましても、老残の絵姿などお見苦しきばかり。私は声のみを提供。画面からBGMまで、ことごとくko-h君の創作物にて、私は素材のひとつに過ぎませぬ。手柄はすべからく、ko-h君お一人に属す次第にございます。

 youtu.be/totQIWUIM-O@YouYube
 またユーチューブのトップ画面から「隠居夜咄」と検索してくださっても、(あるいは「多岐祐介」と検索くださっても)入れるようでございます。
 意欲的な若武者によります果敢な試み。まだ緒に就いたばかりにございます。当「一朴洞日記」ともども、今後ともなにとぞ温かくお見守りくださいますよう、隅から隅までズイッと、伏しておん願い申しあげ、たてまつりまぁす。

 ときにこゝだけの噺、深草少将と小野小町の悲恋でございますが、小町はまたいかなる存念から、かくも高きハードルを課したものでございましょうか。意識高い系に下りし天罰覿面、「わが身世にふる、ながめせし間に」となってしまい、「卒塔婆小町」とあいなり果ててしまいました。
 「弁慶と小町は馬鹿だ、なァかかあ」と川柳にございます。こちらのほうがよっぽど、私には。はい。