一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

暗い絵

野間宏(1915 - 91)、『暗い絵』執筆のころ。

 ふだんは忘れていてもかまわない。世相がきな臭い匂いを漂わせだしたとき、ふと思い出して読返す気になる小説に、野間宏出世作『暗い絵』がある。

 主人公にして語り手でもある深見進介の昭和九年、十三年、二十一年が重層的に凝縮されている。一篇末尾で昭和二十一年の進介が、かつての自分らの「仕方のない正しさ」を本当の正しさに立直してゆかねばならないと宣言するくだりが、ひとり野間宏に留まらず、日本文学全体のあるべき進路と読者から支持され、野間は新たに登場した新作家いわゆる戦後派の代表的存在と位置づけられた。

 正しさがなぜ「仕方ない」のか。志を同じくした三人の仲間たちはいずれも、昭和十三年の段階で逮捕投獄され、獄中死していったからだ。活動中に検挙されたものもあった。従軍中なのに外地で検挙され、飛行機で内地送還されて投獄されたものもあった。いずれも節を曲げずに、劣悪な獄中環境で死んでいった。いかなる僥倖か、進介ひとりが検挙を免れ、敗戦後まで生残った。
 結末が死であるような「正しい」思想なんてものがありうるのか。進介の胸中には「正しさ」への疑念がわだかまっている。それでもどう考えたって、論理的帰結としてはこれが正しい。さような帰結へと、彼らはいかなる道筋で到達したのか。

 昭和九年、進介は京都大学の学生だった。前年には法学部の瀧川幸辰教授が時局にかんがみ芳しからずとして大学から追放された。学生は反発したが、運動は圧殺された。その年は、日本共産党の理論的指導者と目されていた幹部が、獄中で転向声明を発表し、全国の進歩的学生らに衝撃を与えた年でもあった。国家権力の弾圧によって、無産者運動が雪崩を打つように崩壊し始めていた時期である。
 暴風のごとき潮流にあって、反ファシズム運動はどうあるべきか、進介と同志らは進むべき道を模索する。

ピーテル・ブリューゲル(1525頃 - 1569)、『死の勝利』(部分)。

 美しいとも心地よいとも申しかねる、むしろあまりのグロテスクに眼を背けたくなるような画集に一同が観入って、この風景こそが我らの内面を代弁しているようだと語りあう場面から『暗い絵』は始まる。彼らを圧迫して来る力は正面からだけでなく、搦手からも側面からもやって来た。
 官憲や大学当局から眼を付けられているだけではない。小心な地方公務員である父親からは、過激な運動に関るなと懇願の手紙が来る。家族の情である。恋人には思想信条を巧く説明説得できない。恋愛の立往生である。行きつけの定食屋にはツケが溜っているばかりか、店主からの借金も返す目処が立たない。病母の療養に手一杯の父から仕送りが途絶えているからだ。貧困問題である。
 加えて、大学当局とよろしく裏取引して合法活動をしている学生組合の学友たちは、なにかにつけて冷笑するかのように、進介らを見下してくる。虫の好かぬ連中だが、無視してしまっってはアルバイトの口を紹介してもらえなくなるから、無下に絶縁もできない。文字どおり前門の虎、後門の狼だった。
 いく重にも重苦しく暗い内面を抱え込んだ進介らが、かろうじて共感できたのは、未来に向けてひろがった輝ける青空でなかったのはもちろん、へんぽんと翻る赤旗でさえなかった。吐き気を催すほどグロテスクな、この世の終末を呪っているとしか見えぬブリューゲルの画集だったのである。

 昭和二十五年に発表された「『暗い絵』の背景」という回想文で、獄死していった同志のモデルたちとの交友を明らかにしている。京大の学友に、優秀なリーダーがいた。小学校での幼馴染に、町工場に勤めながら神戸の運動組織で活動し、理論勉強をよくする男がいた。同じく幼馴染に、造船所に勤めながら組織活動に巧みな男がいた。『暗い絵』では三人の学友と設定されてあるが、モデルたちは三者三様の資質と環境にあったようだ。
 野間宏は彼らの橋渡しもしくは結節点として、芸術理論をもって包摂する役目を果そうと心掛けたもようだ。具体的組織戦術論としては、統一戦線論だ。一本の旗のもとに全員が同一方向を向くことには、人により無理が伴う。脱落者も生じやすい。だからそれぞれの暮しのなかで持場を守り、全体として運動を前進させるとの考えかたである。フランスのパルチザンの考えかたが、それに近かろう。
 統一戦線の考えかたはさほど古いものではなく、野間宏の学生時代にはまだ、日本共産党中央からは要注意の分派活動としか視られていなかったし、学生運動のなかでも、多くから疑問視されていたという。

 しかし統一戦線という「夢」は、敗戦後に作家となって以後も、野間宏の根柢を支えていたと思われる。政治面では、新日本文学、人民文学、日本共産党が絡む込入った関係のなかで、他の作家たちから不思議がられる態度や行動を見せた場面があった。
 文学面では、あの立場もこの視点も同時に包摂せねばならぬと心掛けるあまり、作品の構想はどんどん巨大化していった。ついには「全体小説」を提唱するまでに深化発展していった。

 全体小説の提唱にまつわる論議は、かつて幾多の論客により取沙汰されたが、それでも解決に至ったとは思えない。時代が移って次なる様式の小説が現れ、時流の中心となってゆくなかで、棚上げ保留とされたまゝの感じがする。それはそれで必然のなりゆきだったろう。
 しかしである。野間宏が「全体」と云い出さずにいられなかった内心の動力については、今もなお、時に応じて思い返さねばならぬことが、あまりに多い。八方塞がりのなかで、「仕方のない正しさ」を締め殺さずに貫くには、との問題である。
 時流にまた世相に、きな臭さが漂いだすと、『暗い絵』が帰ってくる。