一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

老人弁当

 正午近く、インターホンと呼び声に、パジャマ姿のまゝマスクだけ着けて玄関へと向かった。

 前日久びさの古書漁りは、日ごろ運動不足の老身にはさすがに強行軍だった。好い運動をさせてもらった爽快感が心身に残ったものの、疲労感もある。幸い日曜日だ。だらだら家内で過そうかと自分を甘やかして着換えもせず、アプリ相手に碁を打ったりしていたところだった。
 ―― 野尻ですゥ。
 おや野尻組の若い衆が、町会費の集金だろうか。がま口を抓んだ手にアルコールを噴霧して、声が違うが、いつもの若い衆じゃないなと思いながら、扉を開けた。なんと、引締まった体躯で浅黒い細面に短い白髪。
 ―― 頭ぁ、おんみずから、なにごとですか。
 ―― 取りに見えなかったようなんで、お届けに……。

 今日だったか。咄嗟にすべてを思い出した。町内の老人会である。
 毎年この時期、七十歳以上の年寄りを、ご町内でお祝いくださる。区の施設を借りての昼食会だ。こゝ数年は疫病への配慮から寄合は催されないが、足を運べば弁当をいたゞける。
 町内に年寄りがいく人棲息しているものか、住民票その他の情報は、区役所が公開してくれない。以前はさようでもなかったのだが、ご時世で、個人情報ナンチャラらしい。ふた月くらい以前に、該当者は自己申告して欲しいとの記入欄付きの回覧板が回っていた。昔はこんなことなかった気がするが、面倒臭えなぁと思いつゝも、隠し立てする筋合いでもなし、住所氏名と生年月日を記入して回しておいた。
 と、私のぶんも弁当が用意されたらしく、それを私は無頓着にもバチ当りにも、いたゞきに出頭する気がなかったばかりか、日付すら失念していた。引取りに出向かないのは私一人ではあるまいと思い、少々余ったところで、お手間をおかけしたご担当のかたがたでお分けくだされば問題もなかろうと、高を括っていたのである。
 それを頭みずからお届けくださったという次第だ。

 ―― アタシが怠けただけのことでしょうに。なにもカシラお手づからお持ちくださるにも及びますまいに。
 ―― なぁに、アタシの手が一番空いてたんでね。
 ―― 申しわけないことをしました。いつもお若い衆には、助けていたゞいてます。こんな時、ついでに申しては恐縮ですが、カシラから褒めて差上げてくださいまし。
 ビニール袋に入った弁当と缶入り飲料とを、捧げ持つようにしていたゞいた。頭もふだん視かけぬような笑顔で帰ってゆかれた。

 祭だ暮れ正月だとなれば、この人の姿をお視掛けしない日はない。が、言葉を交すのはずいぶん久しぶりだ。ひょっとすると原っぱでの草野球以来かもしれない。いやいや、頭の兄貴である俊さんが私と昵懇の飲み仲間だったから、俊さんの葬式だか通夜だかでご挨拶したっけか。

日本ばし大増「吉野」。

 大増は明治三十年代に開業した料亭だったという。現在は仕出し弁当いろいろ、および駅弁などをおもな事業としているようだ。大増の人気商品のひとつ「吉野」が、今回配られた弁当だった。味も食材の多彩さも申し分のない弁当だった。
 老人を想定した商品なのか、全体に上品な薄味で、おそらく帆立など具の煮汁を用いたものか、炊込み飯の出汁はほんのり甘かった。歯のない私は竹の子にだけは苦心したが、それだってたゞ一か所残った噛み合せを調節しながら、ありがたく完食した。

 偶然にも数日前、サミットストアの豪華弁当を堪能したばかりだったので、なるほどなぁと感じ入った。だれをも納得させる濃いめ味の弁当と、焦点を絞りきった上品薄味弁当との対照といった問題だ。
 そういうことだよね、文学だって、という問題である。