一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

立寄り所



 彼には、パソコン画面が眩しくはないのだろうか。

 起床するとまず洗面所へ行って、置きっぱなしにしてある体重計に全裸で乗る。半分身繕いして、検温と血圧測定する。数値をメモに記入する。「日録」との表紙を着けたノートに転記するのは、ある程度まとまってからだ。理由はない。たんなるものぐさからだ。で、普段着に身を包む順となる。
 パソコンを立上げてメールチェック。緊急メールが入ってないことに安堵しつつ、迷惑メールの削除。所用ある日には、さて行動開始となるわけだが、幸いにしてさような日はめったにない。今日の体調、精神状態はいかがかと、ユーチュ-ブ上の他愛ない脳トレクイズに挑んでみたりする。

 そんな画面上へ、来訪者がやって来た。苦手となさるかたも多いと聴くが、私は多くの昆虫類より親近感を抱いている。鬱陶しい微小な羽虫類やダニ類にとっての天敵となってくれていると感じている。
 画面の右下隅から登ってきた。パソコンだから熱はさほどでもあるまいが、液晶画面だから眩しくはあるだろう。ほどなく余所へ移動してゆくだろうと、追払わずに眺めていたのだが、頻繁に立ち停まりながらそろそろと画面左方向へ進むだけで、いっこうに立去ろうとしない。
 眩しくないのだろうか。それとも光についての概念が、また感知システムが、人間とは根本的に異なるのだろうか。あるいはディスプレイ画面上には、私の眼に見えぬだけで、彼の興味を惹くものがなにかあるのだろうか。掃除の行届かぬわがパソコンのことだ。おおいに汚れていることだろう。汚れのなかには、彼にとって美味いものか甘いものでも含まれているのだろうか。
 図鑑を引っぱり出すか、検索するかすれば、なにか知れるのだろうが、まぁいいかと、いつものものぐさで思考を中断してしまった。

 デスク前の窓を、換気のため細めに開けてあるが、通りかかった猫がコンクリート敷の上で一服している。座り込んで後脚で耳のうしろを掻いたり、身を折り曲げて脇腹から背中あたりの毛繕いをしたりしている。すぐ近くのガラス戸越しに私が眺めているとは気づいてないようだ。
 以前は近所に地域猫が多かった。どの往来から向うはあの一族、手前はこの一族と、縄張りも明瞭だった。人口過密問題でもあったのか、盛りがつく季節ともなれば越境発展を目論む雄猫も多く、縄張りを巡っての睨みあい唸りあいがうるさいほどだった。近年はめっきり少なくなった。保健所か町会有志か、他の活動団体かは知らないけれども、地域猫の駆除撲滅に動いたかたがたがあったのだろう、おそらくは。

 地域猫隆盛の時代には、わが窓の前は日常的な猫通行路だった。休憩所ですらあった。往来から少し入った、通行人の眼の届かぬ裏側だから、猫たちにとっては安心通行路だったのだろう。つい最近までどこかの飼い猫だったろうと容易に想像がつく、毛並みも肉付きも好い猫もあったし、がりがりに痩せ細った瞭らかに栄養不良の猫もあった。好ましくないとは知りつつも、視かねてキャットフードを買い与えた場合もあった。
 ガラクタが放置され積みあがった物陰で、お産と子育てをした母猫すらあった。眼が開いて、なんにでも興味を持って走り回る仔猫たちの遊び場にもなった。母猫が仔猫の披露と援助依頼にやって来たものだろう、仔猫たちを引連れて、わが窓の前に正座してこちらを視ていたたことがあった。訴えの意図は察知したが、親も子も家に入れることはできなかった。なにせ当方も看病介護を必要とする年寄り二人を抱えて、戦闘中の毎日だったのである。

 さように猫密度の高い時代は遠く去った。わが窓の前で寛ぐ猫を眼にするのは、じつに久しぶりだ。ワンカット撮影してやろうかと、デジカメに手を伸ばすべく、上体を傾けた。音をたてまいと注意したのだったが、猫には気づかれてしまった。
 カメラを手にしたときには、猫は迷惑そうな表情でこちらに正対していた。一回シャッターを切って、改造画面をチェックしようと一瞬眼を離したすきに、猫は姿を消した。
 彼の行動半径を知らぬが、次にここを通り過ぎるさいには、今日はあのジジイが覗いていないかと、あらかじめ警戒されてしまうことだろう。