
「済みませんけど、ちょっとお願いできませんか」
ここはジャカルタの渋谷。怪我で片腕が不自由らしい彼が、ふいに声をかけてくる。牛乳パックにストローを刺せずに、困っているらしい。心やさしい彼女は、事情を察してパックを受取り、ストローを刺して彼に返そうとする。と、彼はパックを受取らずにストローだけをつまみ、中身を吸い始めた。彼女が差出した牛乳を飲ませてもらっている恰好だ。
この状況、というかこの姿勢は、インドネシア女性ことごとくにとって特別な連想を誘うポーズらしい。思いもかけず突然とらされてしまったその姿勢に、本人は恥じらい、同行者の友人たちは笑いを堪えきれない。あるいは視ては気の毒な瞬間を視てしまった気になって、気を遣ってそっぽを向く。
ふいに夢物語に巻込まれてしまった驚きと戸惑い、それにかすかな嬉しさと誇らしさに、相手の無礼を攻めなじる気を起こす間もない。不審感や疑問が湧いてくるのは数秒後だ。去ってゆく彼の後姿を眼にして事態を理解するころには、腹をよじり身を揉んでの笑いしか出てこない。
ロマンティックな笑いを創り続ける、Rahman Z という番組の仕掛けだ。 仕掛人ラーマン君は、ターゲット(この場合は女性)にとって憧れの情景が突然眼の前に生じるようでもあり、まかり間違えばキザで鼻もちならぬ新手ナンパと堕しかねぬ、ぎりぎり境界線を攻めるアイデアを、次から次へとひねり出してきた。なかでもこの「ブレッド&ミルク」シリーズはもっとも回数を重ねたアイデアのひとつだ。
プランク(ドッキリ)動画は、いわば世界共通の子供じみた悪ふざけアイデアに過ぎないから、いかなる言葉添えも必要なく、ただ笑っていればいい。だが「ブレッド&ミルク」は例外だ。ターゲットにされた女性たちの恥かしがりようや、周囲の男女の笑い転げようが、尋常ではない。日本人には不可解にすら感じられる。そこには風俗習慣や文化伝統の相違が介在するらしい。

インドネシア人にとって好感や恋心の表現は、ひたすら面倒をみて奉仕し、徹底して甘やかす行為によって示されるという。愛していればこそ、また信頼していればこそ冷静にむしろ冷たく接したり、すねて憎まれ口をきいてみたりする感覚はないという。
とはいえさような行為を人前にベタベタ晒すわけにもゆかぬから、「甘やかす」行為は二人だけのいわば秘儀のニュアンスを帯びる。なかでもパンかミルクかを、手づから食べさせてやるとの行為は、他人の眼が届かぬ二人だけの場で交わされる、最上級の濃密愛情表現の意味合いとなるらしい。
「だれにもゼッタイ内緒だからね。もし知られたりしたらワタシ、恥かしくて死んじゃうんだからね。はいア~ン」
というわけである。いや、それ以上に肉感的な表現たりうるのだろう。
「このパン(かミルク)どうぞ。今夜からもう、ワタシはアナタのものです」
容易に想像できることだが、プロポーズの行為にも流用されることだろう。相手の顔の前へパンをそっと差出す。それを控えめにひと口かじってくれたら、オーケー サインである。結婚披露宴でのセレモニーにも、組込まれるかもしれない。
あるいは念願叶って、ついに情交あったきぬぎぬに二人でパンをかじらせ合い、ミルクを差出し合えば、「けっしてかりそめの想いではございません。これからもずっとご一緒します」の意味となるだろう。
さように大切な秘儀と瓜ふたつのポーズを、行き交う人の多い渋谷の往来で、また歩行者天国の道路のまん中で、図らずもとらされてしまった女性たちの「なんなのよ、これェ」という照れ臭い笑いなのである。
意地悪で失礼な仕掛けだ。しかしどういうわけか、女性たちの表情は恥らいながらも愉しそうで幸せそうだ。胸の奥に封じ込めてある無邪気な憧れ心を、一瞬思い出したのだろう。
つけ足しだが、愛情表現の意味での「甘やかす、徹底奉仕する」(suap と聴いた)という単語には、「賄賂を贈る、手なづける」の意味もあるという。インドネシア社会が屈指の贈収賄社会から脱皮することにひときわ苦難を抱えねばならぬ、国民性の面から視た理由のひとつである、との説を耳にしたこともある。
スマトラ島の西突端から、パプアニューギニアとの国境線が引かれたニューギニア島中央まで、インドネシア国土の東西距離はアメリカ合衆国の東西距離に匹敵する。一万七千以上の島で構成されてある。大分類しても三百以上の民族が暮している。部族分けしようものなら一千三百四十にもなるという。公用語を定めてはあるものの、ほかに五百もの言語が現存してある。
古代の仏教寺院ボロブドゥール遺跡があるが、三百五十年ものオランダの植民地時代があり、国民の八十七パーセントはイスラム教徒で、世界最多のイスラム教徒が住んでいる。
インドの中国のとおっしゃるかたは多いが、インドネシアもまた複雑さと多層性において、日本人の常識規模には収まりきれるはずもない、途方もなく巨きな国である。ジャカルタの渋谷やホコ天を行き交う市民の顔立ちも肌色も着衣も、じつに多様だ。言葉もきっといろいろなのだろう。

「よくやるわねアナタ、ぬけぬけと。ワタシ顔から火が出ちゃったわよ」
「違うわよ、流れだったんだもの、観てたでしょう」
「どうだか。まんざらでもない顔、してたくせに。どなたなの、白状しなさいよ」
「知らない人だってばぁ、ほんとだってぇ。馬鹿ぁ」