一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ジャカルタ、ドッキリ(2)



 インドネシアのユーチューブ番組 Ramdany Eka のコントから、もうひとネタ。

 公園のベンチか街路脇かに腰かけている女性たちの前を、携帯で電話しながら男が通りかかる。
 「ここ、いいですか? 待合せなんですが」ことわって、近くに腰かける。
 電話は続いている。「すぐ判るさ。おあつらえ向きに綺麗なお嬢さんがたのすぐそばだ」

 
 なぞの売人がやって来る。「エカさんだね」
 「さすが時間どおりだ。ブツは持ってきたかい」「ああ、もちろんだ」
 「先に改めさせてもらうぜ」「いいとも。ブツには自信がある」
 男はさも楽しみだという表情で、膝に載せたボール箱の封を切る。女性たちにはそれまでの会話が嫌でも耳に入っているから、どうしても箱の中身に気を取られる。無関心を装いつつも、つい横眼で窺ってしまう。
 男が箱からつまみ出したのは、眼も鮮やかなピンクの女性下着だった。女性たちは、突如こみあげる笑いを堪えきれない。

 「おーっ、上等なブツじゃねえか、手触りもいいや」「ああ、日本製さ」
 「(鼻に近づけ)匂いも極上だ。使用済みだろうな」「持主まで判ってる。アユミヨシカワだ」
 「アユミヨシカワか、そいつあいい。(胸にあててみて)こんな感じかな」
 主役と相棒との会話は機関銃トークともいうべき、ものすごい速度でしかも弾むように展開する。
 女性たちは身を揉んで笑いこけ、例により友達と叩き合い、また友達と抱きあうようにして顔を隠しあう。

 
 「気に入った。釣りは取っといてくれ。その代り、次も上物を頼むぜ」「任せてくれ。けっしてご期待を裏切らねえから」
 取引きを済ませ、男たちは握手して、アッという間になぞの売人は去ってゆく。たった今、眼の前でなにが行われたのだろうか。女性たちは呆気にとられながらも、おかしくて堪らない。

 その後の、主役によるターゲットいじりも凄まじい。
 「観てた? 高級品だぜ。もし興味あるなら交換する? 俺、この分野じゃ、ちょっとしたコレクターなんだ。処分するものがあれば、引受けるけど」
 「イヤーッ」若い女性たちに、それ以外に咄嗟の反応などできようはずもない。
 一場面わずか二十秒ていどの動画が、いく場面も重ねられ、数分から十分の動画に編集される。工夫改良されて細部を変化させながら、百以上もの動画が挙げられ、それぞれ十万単位の再生数を稼いでいる。


 他愛ないとも品がないとも、云いたい奴には云わせておけ。笑えるうちは、笑えばよろしいのだ。
 そんなことよりもわが足もとに、用心しておかねばならぬことがある。品位とか行儀とか節度とかが、庶民の知恵から形成されてあるうちは安心だが、統制とか規制とか、合意とか自己規制とかが、耳慣れぬ外来語に置き換えられて、良識だか権威だかの名を借りて権力から圧しつけられてくる時代には、要注意だ。
 庶民の眼からは遮られてある天井で、けしからぬ圧政が画策されつつあるときには、かならず足並みを揃えるように対極の地下において、一見はしたないオゲレツ文化が圧迫されるもんだと、かつて賢人がたから教わった。歴史がそれを証明していると。
 その受売りで私も若者たちに向っては、いいかね、下でポルノ規制だとか不良文化撲滅だとかを盛んに云い出すときが来たら、上ではファシズムだからね、と云ってきた。