
「あのゥ、ひとつ教えてください。以前ここにあった、ほら、ボトルキャップを回収する小型ボックスは、廃止されちゃったんでしょうか?」
しばらく疑問を抱き続けたあげくに、とうとうやむにやまれぬ気分になって、今日訊ねた。愛くるしいショートカットの小柄な女性店員さんが、一瞬怪訝な表情を見せたあと破顔一笑、
「いいえ、ありますよ。どうぞこちらへ」
右腕を伸ばして方向を示しながら、奥へと歩き出した。案内してくださるらしい。場所移動したのであれば、言葉で教えてくれれば解るのに。なにせあなたが産れたころから、この店に出入りしてきたのだ。しかし彼女はきっと、丁寧の上にも丁寧に解らせるに越したことはないボケ老人と、気遣ってくださったものだろう。
サミットストアの正面口を入ってすぐの処でのできごとだ。以前このあたりには、瓶・缶・プラスチックボトルなどの回収箱が、まるで飲料の自動販売機かのように設置されてあった。脇に傘立てほどの小型ボックスが、目立たぬように立っていた。それがペットボトルなどのキャップだけを専門に回収するボックスだった。
さきごろサミットストアの大改装があった。たんなる内装刷新ていどではない。部門エリアごとそっくり移動されたり、統合も分離もあって、あれとこれとが隣同士になったりした。地下から一階へとコンバートされた部門まである。再編成されてみると、なるほどあの品とこの品とは一連の買物か、視くらべ勘案しながら買うことになるかと、合点がゆく売場となった。生鮮野菜売り場とサラダやカットフルーツの売場とが、向い合せになったし、それに連続して惣菜や弁当のコーナーが並んだ。冷気システムの合理化もある。ぶっかき氷もアイスクリームも、冷凍食品と隣同士になった。
なんといっても最大の改革は、全セルフ支払いシステムの大幅導入だ。以前は十コースほどのレジカウンターのいずれかに行列して、店員さんに商品確認と入力とをしてもらって、現金かカードかによる支払いだけが機械化されていた。そういう窓口が今もひとカウンターだけは残っている。あとは広いスペースに二十台ほどの完全セルフ支払機が肩を寄せ、商品個包装のバーコードを機械に読取らせては最後に合計入金する、完全セルフ支払いシステムとなった。買物客らは選んだ商品の籠を持って、ゲームセンターへと入店するような按配だ。
ご近所のわが行きつけ店のうちでは、ダイソーとローソンストア100とが、すでにこの方式だ。ただし仕様はそれぞれだから、機械が話しかけ要求してくる言葉使いはまちまちだし、画面レイアウトもいろいろだから、慣れるまでには数回の利用が必要だ。
またローソンストア100では煙草も買うので、年齢認証の過程を欠かせず、この客はたしかにジジイだと確認していただかねばならぬから、あえて店員さんを通す。したがって煙草は有人レジで、その他の買物はセルフ支払いレジで処理している。有人レジで一括入力してもらえるとは承知だが、機械処理に慣れるために、あえて二段構えとしている。これもゲーム感覚だ。面白いから、苦にはならない。
今回のサミットストア大改装では、店内レイアウトの改変だけでなく、品揃えにもかなりの刷新があった。弁当や惣菜、肉や魚や半調理野菜など生鮮食材類は、目覚しく充実し高級化した。その反面、マッチだ歯ブラシだ電球だトイレットペイパーだといった、他店で買ってもいっこうかまわぬ雑貨類は姿を消した。もしくは著しく売場面積が絞られた。ひと口で申せば、食品の充実化・高級化に特化したスーパーに変貌をとげた。先代先々代からの住宅地らしからぬ、市街地スーパーのごとき様相である。
ひとつには、集合住宅の住民や余所からやって来てこの地に開店したご商売人など、いわゆる新住民さんの比率がしだいに増えたことにより、客層が変化してきたからだろう。ちょっとしたゼイタクをものともせぬ、むしろそれを愉しみたいとすら考える住民が増えたのではなかろうか。
もうひとつには、近隣他店との差異化の狙いがあろう。なにせ徒歩数分の圏内に、ビッグエーとダイソーと東武ストアとマイバスケットとがある。ローソン100ストアがあり、セブンイレブンとファミリーマートとはそれぞれ複数店がある。なかでもビッグエーは「同じ品ならどこより安い」を標語に、ディスカウントスーパーと自称している。
市場調査、住民意識調査、購買感覚調査などにおいて、商売の玄人がたの眼配りがいかに綿密にして徹底した怖るべきものであるかを、かつて私は嫌というほど眼にした。通販カタログのコピーライターだった時分だ。ずいぶん経っちまったが、玄人がたの腕前には、今ではいっそうの磨きがかかっていることだろう。その人たちの考察の成果として、新しい品揃えは完備されたにちがいない。
そんな新装サミットストアで、正面口近くには完全セルフ支払機が並び、薄地のプラ袋やセロテープが完備された詰替えカウンターがある。不定形の空きスペースはイートインになっている。壁ぎわには、クーポン処理所とよろづ案内所とを兼ねたカウンターが設けられてある。そんな雰囲気の場所から、ボトルキャップだけをちまちまと集める小型ボックスが姿を消したのは当然とすら、私には思えた。
「いいえ、あります。どうぞこちらへ」
ショートカットの女性店員さんが指し示してくださったのは、裏口だった。正面口が面するサンロードとは直角に交わるサミット通りに面しているから、位置から申せば脇口か横口だ。バックヤードを経由した従業員専用口こそが正しくは裏口だろうが、客はこの脇口を通称裏口と称んできた。自動扉を出るとあんがい広い、ガード下のような薄暗いコンクリート打ちの、自転車駐輪場となっている。その隅っこに、飲料自動販売機サイズの容器回収ボックスと並んで、視慣れた小型ボックスはあった。
「わざわざご親切に、どうもありがとう」
女性店員さんに頭を下げて、自動扉を出る。作業服に身を包んで作業帽をかぶった六十年配の男性と眼が合った。あたりの片づけか清掃かの作業中だったらしい。
「あったァ、ここかァ」
「そうぞ、たくさん持って来てください」
柔和な笑顔だった。
「いやね、新装開店いらい、廃止になっちまったかと、思ってたんですよ。はいはい、これからはここへ、持ってまいります」
ポルポト政権時代の内戦の残骸で、カンボジアの農地には今でも無数の地雷が埋まっているという。農民ことに子どもたちの足が吹っとばされる事故が跡を絶たないという。義足はたいそう高価で、農民には入手困難だという。ましてや子どもサイズの義足は少なく、かりにあっても金属義足は重くて、子どもの足では使いこなせぬという。ヤクルトの研究所とどこやらの研究機関との協力で、樹脂材の軽量義足が開発されたという。ボトルキャップや、あとはヤクルトの空きボトルだったかが、再利用されて樹脂義足の材料になるのだという。
そんな貼紙を読んで、小型ボックスの存在を知ったのは、二十年も前のことだ。今でもその技術や活動が続いているのかどうかは、まったく知らない。だいいちそんな技術がほんとうに存在するものかどうかすら、本当のところは知らない。いつのころからか、貼紙を視なくなった。ただサミットストアの隅っこからは、ボトルキャップ専用の小型回収ボックスが消えたことはなかった。だから溜ると、投じてきた。半年に一度ほどか。もっと間遠だったろうか。
キャップだけでなく、切り離されてボトルの螺旋口に残る端っこも、爪先で脱がせてきた。素人眼には同じ材質と見える、おろしショウガや練りワサビのチューブの蓋も、蜂蜜ボトルの蓋も、台所用洗剤の詰替えボトルの蓋も、捨てなかった。そうして、クッソ暑かったこの夏の飲料のキャップすべてを集めたところで、たったこれだけだ。
ほんとうにカンボジア少年の脚の五ミリにでも、なれるのだろうか。なれるのだと信じたい。