
老舗の文芸同人誌『朝』47号のご恵送に与った。発行人である村上玄一さんのご好意による。
村上さんによる連載『自慢風まかせ』も、はや十回となった。文芸編集者として数かずのお仕事をなさった半生の交友を懐かしく回想した、自伝風文章だ。目次区分としては「小説」としてある。固有名詞が次から次へと登場するため、差障りに配慮しなければならぬ場合も生じることだろう。作り噺を避けるとしても、承知のうえで伏せる配慮はなされたのだろう。想像たくましくといった箇所も、虚実皮膜のあわいといった箇所も、あるのかもしれない。私は毎号愉しく拝見してきた。
今回は疫病騒ぎが発生した二〇一九年前後を内容とする。大学教員としては、ご本人にとっても学生諸君にとってもはなはだ不本意な、リモート講義を強いられた。また前後数年の間に、想い出尽きぬ五人もの文学者との別れを経験した。学恩芸恩ある眞鍋呉夫・安岡章太郎のお二人、担当編集者として仕え兄事した野坂昭如・秋山駿のお二人、同世代として親しく付合った稲葉真弓の計五人だ。
加えて、お住いを引越す必要が生じたのを機に、蔵書を処分せねばならなかった噺だ。居間と書斎と物置二棟に詰め込まれた蔵書との格闘譚である。いずれも私にとっては、想い当る噺ばかりだ。
非常勤教員として草鞋を脱いだ大学のひとつで、村上さんは教授でいらっしゃった。いわば私の上司筋に当る。文芸編集者としての豊富な実績から、ジャーナリズムとは何ぞやといった入門講座に始まり、編集者養成講義やら、少人数教室での実習にいたるまで、出版関連の科目を一手に引受けておられた。
それはそれでよろしいのだけれども、つまり実績のしからしむる当然とも申せるけれども、あァこの人は作家だなと、私は心ひそかに思っていた。ただし他と競って自分を押出したり売込んだりは、いっさいしない種類の作家だなと思っていた。
文芸編集者としては、野坂昭如の仕事を整理してまとめた業績が、なんといっても光る。出版分野においても、文学におけると同様に、自己宣伝めいたお仕事ぶりをなさらぬ人である。
万波鮎さんの『境界』は、わずか四ページの短篇だ。あろうことか、それがさらに八ブロックに分れている。最短ブロックはわずか五行に過ぎない。説明を極限まで省き、ひたすら暗示的な断片を積重ねることで、読者に象徴的な意味合いを届けようと狙った。一見実験的・冒険的手法のようでいて、じつは「詩的」「印象派的」の名のもとに、先達の手で試みられたこともあった技法だ。
内容は、惹かれ合いながらも親密な合体にいたらぬ二人のやりとりだ。漂流して待たせてばかりの相手を、張合いなく待ち続けるもう一人のがわから描く。はは~ん『ゴドーを待ちながら』みたいな、ひたすら待たされる噺かなと読み始めると、中ほどからガラッと一転する。男同士の同性カップルの気配が漂い、子を成せぬ間柄という噺となる。が、主眼はそこにもなく、末尾では闇と炎の画を描き続けるとのオチとなる。
子を成すに等しい重量と熱量とを、さらには責任と忍耐とをもって、コトバ(創作)に取組もうとする作者の覚悟の表明のようでもあり、それでもなお去りやらぬ淋しさや屈辱感をいかにしようかという苛立ちでもありそうだ。なんとも面倒な題材に挑んだものである。面白く拝見した。
齢をとると、痛かったことも辛かったことも、悲しかったことも忘れて、楽しかったり感動したりの想い出ばかりが残ると、どこかで読んだ記憶がある。それは嘘だ。恥かしかった想い出や屈辱の記憶ばかりが蘇ってくる。周りに人の気配がないことを確かめてから、ワァーッと大声を挙げたくなる。老人となってなお筆を執るからには、その想いを造形化しなければならぬのだ、きっと。